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竹中工務店400年の夢

 世田谷美術館で開催している同名の展示会の展示作品を収納した書籍,その中から独断でピックアップした作品を紹介する. 織田信長に普請奉行として仕えていた竹中藤兵衛正高が清州越しで名古屋に移って1610年に宮大工として再出発,この年を承業としている.江戸の松坂屋いとう呉服店上野店,安政の大地震で全焼,名古屋から資材を運んで翌1856年に再建した.これ以来つい最近まで松坂屋様のお仕事は一手に引き受けてきた歴史的な顧客.10年ぐらい前まで社員全員が出席していた社員総会には松坂屋から購入した記念品が配られていた. 未だ会社設立前で名古屋を拠点に営業していた時代に,京都のメジャーな寺院建築を手掛けているとは知らなかった.このような伝統建築は現在もやっている. 1899年に活動拠点を神戸に移して洋風建築事業に転身,その第1号作品となったのがこの三井小野浜倉庫である. 西本願寺のすぐ近くの街中に建っている.数年前の京都出張で少し早めに着いて西本願寺廻りをウロウロしたときに遭遇して中に入ってみた.独特な印象が残っている. ”ビルヂング”と表記された建物をだんだん見かけなくなってきた.いまどきは多い複合ビルのようだが,当時は画期的だったらしい.道路上空の架線は市電かトロリーバスかと調べてみると,トロリーバスは戦後に登場したようなので市電用だと思われる.手前のアサヒビール・キクマサムネの看板の店が気になる. 丸の内を代表する建物のひとつ.最近の建替工事の折,地下階へいく機会があった. 日本初の工業化建築ともいわれる昭和基地である.極限の気候の中で職人じゃない素人が建てる建物ということで,非常にチャレンジャブルなプロジェクトだったと思う.このために技術研究所を作ったという話もある.外壁パネルの実物を見て,様々に想像する. 歴代作品中でも知名度No1ではないだろうか?ゴジラに何度も潰された!タワークレーンもない時代,高力ボルトではなくリベット接合なのである.やればできるという話かもしれぬ. 大阪万博は自分が小学校2年生のときである.ソ連間には1時間ほど並んでに入場した記憶がある.展示よりも建物のデザインが記憶に残っているパビリオンのひとつである. 阪急六甲駅を降りると,丘の上の母校へ歩いて登る女子学生と,タクシーに乗り合わせてこのキャンパスに向かう女子学生に2分される.学食では座ると...