今日は「教科書が教えない日本語」という文庫本を買ってみる.未だ読み始めだが,五十音図の功罪を説く本のようだ.文体として「ですます調」と「だ・である調」が一般的だが,これらは江戸期の「~ぞ」や「~候」といった文体では表現できない人の内面的思考を書き表す言文一致運動で考え出されたものだという.「~です」は山田美妙,「~だ」は二葉亭四迷,「~である」は尾崎紅葉が生み出したそうだ.こうした流れに逆らった森鴎外の文体は国家主義の高揚で一旦は浸透したものの,今では一般に理解できなくなっており,遂に国語の教科書から消え去ったそうだ.自分も高校時代の現代国語の教科書で読んだ記憶はあるが,小難しい文章だと思った記憶がある. さて,本の主旨は五十音図を批判的に見ることにあるようだ.著者は自分と1歳違いの国語学者である.赤塚不二夫や高橋留美子の漫画に登場する言葉遣いにも解説が及ぶ.イヤミの「シェー」などは,実際にそんな言葉を発している日本人は居ないにも関わらずキャラクターの人格を的確に表現していると仰る.「あ」に濁音のテンを振ったのは高橋留美子である.しかし,五十音図で書き表せない日本語または外来語は実際に存在し,それを書き表す苦労をした作家などは少なくないという."v"の子音を「ヴィ」などと表記するのは現在でも定着しているが,「おとっつあん」を「お父さん」のさに半濁音記号をつけて表記した作家も居るそうだ.発音の歴史的変遷にも触れつつ,五十音図から逸脱した日本語を否定すると見えなくなってしまうことがあると説いておられるのだと思う.じっくり読み進んでみたい. 後半には五十音図の謎と功罪が書かれている.五十音図が作られたのは1000年ほど昔のことのようだ.万葉仮名では書分けられていた「キ,ヒ,メ」など13音の2通りの書分けを上代特殊仮名遣いというそうだが,その書分けが五十音図では見られないことから,900年代以降に作られたものと言えるらしい.いろは歌も同様である.いずれも970~1079年の約100年間に作られたと推定されるようだ.五十音図を考案したのは加賀温泉寺の明覚という住職で,サンスクリット語で書かれた仏教の原典を読むためだったそうだ.お経を読むのは呪文を唱えるようなものであり,呪文が原語と違っていると効力が無いと考えたようだ.アカサタナの横の並びはサンスクリット語...