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8月, 2022の投稿を表示しています

文庫本:縄文人と弥生人

300ページ弱の文庫本だったが,土曜に前半を読んで後半を昨夜読み終える.後半には戦中・戦後の研究の進展が書かれている. 明治初期には縄文土器も弥生土器も見つかっていたが先住民が遺したものと思われていたのが,大正時代になると生物学的な人種と文化学的な民族が区別されはじめ,古人骨の実証的な調査が進むとともに縄文土器と弥生土器の時代の前後関係が解明される.縄文土器は先住民族のアイヌが遺し,弥生土器は日本人の祖先が遺したものという人種交替説が登場する.しかし,皇国史観が強まった戦中になると,日本人はずっと日本に住んでおり外来ではないとの人種連続説以外は唱えられなかったようだ.戦後になって外来民族が弥生文化をもたらしたとの学説が唱えられるようになる.登呂遺跡の発掘ブームを経て弥生時代への理解が深まり,移民との交雑によって縄文人及び縄文文化は混血・変形したとの縄文/弥生人モデルが有力な日本人起源論になる.こうして弥生文化の延長上に日本の古代史が位置づけられるようになったのは1960年代のようだ.これが二重構造モデルに発展し,日本文化の深層ないし基層に縄文文化があるとの近年の理解に至ったのである.文献に依って立つ歴史は語られる社会を反映するとは聞くところだが,科学的な根拠に基づくはずの人類学ないし民俗学にも似たところがあるようだ.そんなことを思うと,教条的な国政左派の主張はさることながら,右傾化が進む国政右派の動向にも気になるところがある.事実を知りたいと思うのは人の自然な欲求であり,大切なのは真実の解明なのだと思う訳だ.

文庫本:物語 スコットランドの歴史

 「物語 スコットランドの歴史」という文庫本を読み始める.国なのか国でないのか良く判らないが,北海道と面積・人口がほぼ等しい.人口だけ比べるとデンマークにも近い.現在も独立運動があり,2014年に独立の是非を問う住民投票が行われて英国に残留となったが,ブレグジット後に再燃しているようだ.個人的にはスコッチウィスキーの醸造所にはぜひ一度行ってみたい.そして,ユニオンジャックから青色が無くなるのは国旗のデザインとして忍び難いと思っている. そのユニオンジャックだが,英国がイングランド,スコットランド,ウェールズ,北アイルランドの主に4つの地域から成る事実を象徴的に表現していると思っていたのだが,よく考えると元の旗は3つしかない.この辺の事情は,イングランドを含む4つの国と地域の歴史まで遡らねばスッキリしないようだ. 先ず,元となるそれぞれの地域の旗の由来である.聖ジョージは古代ローマ時代の兵士でイングランドの守護神と定められている.イングランドとは直接関係なく,定められた理由はよく判らないようだ.セント(聖)・アンドリュースは北海に面する街でピクト人の本拠地があったらしい.スコットランド最古でケンブリッジ・オックスフォードに次ぐ名門セント・アンドリュース大学があり,ゴルフ発祥の地だという.聖パトリックはスコットランド大司教でアイルランドでキリスト教の布教活動を行った.旗はアイルランド王国の筆頭騎士団として1783年に創設された聖パトリック騎士団の勲章や旗として使われていた.それぞれ各地域の守護神とされているが,ウェールズの守護神は聖デイヴィッドのようだ.聖デイヴィッド旗はウェールズの旗ではなく黒地に黄色の縦十字のらしい. 一方,それぞれの地域の歴史を確認しておく.大ブリテン島にほ元々ケルト系のブリトン人が住んでいたところへ,アングロサクソン系が移り住みアングロサクソン7王国を建国した訳のである.7王国を建国したのは3つの種族であり,ユトランド半島(デンマーク)に住んでいたジュート人のケント王国,その南方ドイツのシュレスヴィッヒ・ホルスタイン州当りにいたアングル人のノーザンブリア王国,マーシア王国,イーストアングリア王国,更にニーダーザクセン州の海辺にいたサクソン人のエセックス王国,ウェセックス王国,サセックス王国である.ケント王国はフランスとの結びつきを強めてカ...

建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加する!

 建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加するという記事に行き当たる.小職の専門分野の先輩である橋本氏(元八戸工大)の執筆である.静かな環境に居ると些細な音が気になってしまうという訳で,騒音問題の解決に取り組んできた経験からすると,まさにその通りである. 記事によれば,日本に騒音という言葉が登場したのは関東大震災の復興工事だという.伝統的な日本家屋は襖や障子一枚隔てて違った生活を営む社会だったので,音は聞こえて当たり前,うるさいとは思わなかったようだ.遮音性を求めるようになったのは,組積造の厚い壁を隔てて暮らした西洋化に一因があるという.特に1997年を境に日本社会では近所づきあいのない人の比率が増え,これに呼応するように近隣騒音の苦情が増加したそうだ.ちなみに共同住宅の物理的な遮音性能は,1980年頃以降2010年頃に至るまで平均的には一貫して向上したと,それを推進した巷の技術者として確信している.記事によれば,1997年の流行語はムカツクにキレルだそうで,これ以降に増加したのは騒音ではなく煩音であるという.物理的な環境ではなく人間関係に起因する心の問題であると区別しているようだ.こういう社会でどの性能水準の共同住宅を売り出すべきか?そこはなかなか悩ましい問題だと考える.一例として,窓があれば窓外を電車が通る音が多少聞こえても苦情にはならないが,姿が見えない地下鉄の音が聞こえると物理的には小さな音であっても苦情になる傾向がある.こういった問題も心の問題のうちとなるが,対処にはコスト多大な対策が必要である. ところで,関東大震災以前の日本社会が日常的に様々な音を受入れて暮らしていた様子が夏目漱石の変な音という短編に記されている.現代ではこういう場合は騒音の苦情になることが多いだろう.原因が判らない不思議音という騒音問題に該当する可能性が高い.原因が判らないと殊更に気になったり,過大な想像で不安になったりする傾向がある.見えない地下鉄の音の問題も,視覚と聴覚で捉える環境の齟齬が生む違和感なのかもしれない.ともかく,漱石の「変な音」は,自分が気になっていた変な音の原因が解明されると同時に,自身が無意識に別の変な音を発していたという気づきを並立して締めくくられている.まさに隣同士はお互い様の社会構造を映した作品であると受け止めている.没交渉で都合の良い世界に閉...

学徒出陣と当時の学制について

自宅療養の休日,ランチのあとひと休みして昼寝を断行すると3時間も経っていた.もう夕方である.晩飯前にNHKオンデマンドで「学徒出陣」に至る経過を振り返る番組を観た.その後気になったことを調べて整理してもたので記録しておく. 予備知識としてまず,戦前の学制を振り返っておく.明治19年の帝国大学令によって東京大学が帝国大学となった.法科,医科,文科,理科,工科,そして農科も加わった総合大学が誕生した.その後,明治30年に2番目の京都帝国大学を皮切りに,日露戦争後には大学令までに東北,九州の各帝国大学が設立されている.1918年の大学令及び第2次帝国大学令によって,単科大学や私立大学が設立されるようになって高等教育は量的拡大に移行する.北海道帝大設立(東北帝大と分離)のほか,早慶を始めとする私立大学が大学に昇格した.大正中期の民主主義と都市文化と並行的に発展した訳だが,このとき大学卒業年齢は1年短縮されたようだ.そして,日本領となった京城と台北にも帝国大学が設立されている.1931年の満州事変以降,本国政府の方針を無視した関東軍が暴走し始める.勝手な企てで戦線を拡大した関東軍幹部は本国政府の要職に就き始め,暴走の連鎖のような戦局拡大に応じて大阪,名古屋に理系の帝大を設立していったようだ.この頃の大学生は19歳で入学して21歳まで3年間(医科は22歳まで4年間)学ぶ訳だが,この間は20歳の徴兵を猶予されていた訳だ. 学制の変遷(戦前~戦中編) さて,番組を観て太平洋戦争の開戦直前の1941年に卒業年限が短縮されていたことを知った.臨時措置として最大1年の短縮の短縮が可能という勅令が出されたようだ.実際には最初は3か月だったが,翌年には6か月になり高等学校や大学予科も対象になった(その分大学入学は前倒しした)ようだ.そして1943年に文科系学生の徴兵猶予を撤廃し,前線の戦地へ10万人を送ったのが学徒出陣である.多くは特攻部隊に所属したらしい.そんなことをしたら文科系の大学生が居なくなってしまったのではないかと思うのだが,上述の高等学校・予科の卒業年限短縮を考えると,2年ぐらいは在学できたのだろうか?特に文科系学生が多い私立大学の経営がどうなったのか?今更余計な心配かもしれないが,この辺はググリ調査では良く解らないでいる.実際には文科系から徴兵猶予が残った理系学部への転科希望者...

ベーブルースは二刀流なのか?

大谷選手がベーブルース以来の1シーズン2桁勝利2桁本塁打の偉業を達成したというニュースを観る.本人は「今まで両方やる人が居なかっただけで,今後増えたら普通のことになるかもしれない」と語った.ベーブルースの記録は1918年のこと,報道記事には「元祖二刀流」などと書かれているが,ベーブルースは両方やる人ではなかったのか?と疑問を感じて当時の状況を調べてみた.確かにルースは強打者のイメージで,投手の記録を持つことは知らなかった.小学生の頃にハンクアーロンの714本超えが話題になったのでよく覚えている. 調べてみると,ベーブルースのメジャー在籍は1914年から1935年である.最初の6年間はボストン・レッドソックス,次の15年はニューヨーク・ヤンキースに在籍している.レッドソックス時代は主に投手として活躍し,1915年に18勝,1916年は23勝,1917年は24勝しているが,この3年間に投手以外で出場したのは限られていたようだ.翌1918年が13勝で本塁打11本となっている.ルース本人は毎試合出られる野手を希望したらしく,1918年に出場試合数は95,1919年に130と増加する.1920年にヤンキースへ移ってからは投手としての出場は殆ど無くなったようだ.そして,初めて2桁本塁打を記録した1918年のあと,ヤンキースのベーブルースは16年続けて年間20本以上の本塁打を放ち,うち11年は40本以上,最多は1927年の60本である.大谷選手の語った意味をようやく理解できた.ハンクアーロンの記録更新が同じ土俵上のことと解すれば,投手から野手(打者)への移行期に1度だけ達成した今回話題の記録は,少し意味が違っているかもしれない. ちなみに,1900年からベーブルースのレッドソックス在籍最終年(1919年)迄をデッドボール時代,ヤンキース移籍初年から太平洋戦争開戦の1941年までをライブボール時代と呼ぶそうだ.デッドボールとは死球ではなく飛ばないボールのことをいう.死球をデッドボールというのは和製英語で,正しくは"hit by a pitch"というそうだ.知らなかった.ともかくデッドボール時代は大リーグ押しなべて打率が低く,ライブボール時代になって本塁打が増え打率も上がったそうだ.理由は様々説があるようだが,独断と偏見で影響がありそうなものを拾ってみると… ■...

セミの声

  夏の関西は蝉の声がうるさいと承知している.その原因は主な蝉の種の違いだと言われており,経験的にも間違いないと判断する.しかし,実際にはどうなんだろうか? 「あなたの街で1番聞こえるセミの声」を訊ねたあるアンケート調査によれば,関東ではミンミンゼミが優勢,関西ではクマゼミが優勢との結果がある1).アブラゼミはかなり全国的に分布しているようだ.一方で,関東のセミでいちばんうるさいのはアブラゼミだとの報告がある2).この報告には,アブラゼミとクマゼミの測定値は,それぞれ70~80dB,80~90dBだとされており10dB程度の差があるが,測定方法や用いた周波数重み等の詳細は不明である.数値の出所を探してみると文献3)にクマゼミの80~90dBの出所が記載されていた.長居公園で測定した音圧レベルと記載がある.原典は入手できておらず未確認だが,根拠はありそうだ.文献3)によれば,近年大阪市内ではアブラゼミが激減し,7割がクマゼミと言われているようだ.騒音公害の原因となる都市害虫になっているという.また,クマゼミは東京へも進出しつつあり,実際にお台場でクマゼミを捕獲した状況についても報告されている. 一方の関東のセミの声については,文献4)にデータがある.遠方からセミ群の鳴き声を道路交通騒音とともに測定した結果であるが,60dBA程度の音圧レベルである.「アブラゼミ」単独と「アブラゼミ+ツクツクボウシ」のデータが比較されており,アブラゼミの成分が5kHz~8kHzの高い周波数領域であるのに対して,ツクツクボウシが入ると上記に加えて1kHz~4kHzのやや低い周波数成分も増加する.経験的にはミンミンゼミもツクツクボウシに近い傾向があり,クマゼミは更に低い(もう少し人の音声に近い)周波数領域に主成分が移行すると推察する. ありもののデータで疑問を解消するには至らなかったが,解明の端緒はつかめたように思う.うるさい関西のセミの声を聞いて育った関東暮らしとしては,クマゼミが関東に大きく進出しないことを願う. 1)ウェザーニューズ「アンケートで検証!あなたの街で1番聞こえるセミの声は?」2020.08.31: https://weathernews.jp/s/topics/202008/260265/ 2)Lucen Techno 「夏の風物詩 セミの声,騒音レベルを測って...

文庫本:地図と愉しむ東京歴史散歩

 今週は通勤電車で読む本が無いので登庁した月曜日の昼休みに地価の本屋へ行って1冊買ってみた.5%引きで買えるのは多少でもありがたい.「カラー版」という文字に惹かれたのもある.今週はこれで安心と読み始めたが,昨夜に読み終えてしまった. 先ずは皇居内の変遷,宮殿が本丸跡に建てられなかったこと,日比谷公園が練兵場だったこと,知らないことは多いものだ.教科書に写真が載っていた大本営の御前会議の会議室が1週間しか使われなかったらしい.天井スラブのコンクリート厚さが7mあったという防空室は終戦の年の7月末日に竣工引渡しとなったそうだ. 皇居以外に,お台場,海上を通った東海道線や東京モノレール,東京駅周辺,晴海の万博計画,幻の新幹線計画,都内の飛行場,そして都心から無くなったもの(監獄,射撃場,堀,街,宮邸),街並みが変遷するのは当たり前のこととはいえ,そんな痕跡を知らぬと知るでは街並みを見る楽しさも違ってくる. ところで,今は財務省となった大蔵省が,昔は大手町にあったことも知らなかった.昔から霞が関にあったのだと訳もなく思い込んでいたのである.かつての大蔵省の敷地内には平将門を祀った将門塚があった.大正12年に関東大震災の火災で庁舎が焼けたとき,将門塚を潰して仮庁舎をその上に建てたところ,大臣や幹部職員が次々に亡くなったそうだ.将門塚を潰した祟りとの噂になり,昭和3年に建物を取り壊して塚を復元しお祓いをするも,将門が討たれてちょうど1000年に当たる昭和15年の落雷で周辺の官庁も併せて6.8万平米を焼失,大蔵省は恐れをなして霞が関の新庁舎へ逃げ込んだという.突貫工事のため外装は後回しにされ,ようやく昭和37年に外装工事が施工されたそうだ.元の大蔵省跡は三井物産本社などになっているが,将門塚は大切に保存されているようだ。