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2月, 2022の投稿を表示しています

満州国の光と影

昨日の散歩途中で立ち寄った本屋で立読みするうちに,かつてのぞみ車中でよく読んだ歴史街道という月刊誌を手にする.今年は満州国の建国から90年だという.建国の日である昭和7(1932)年3月1日は亡父の誕生日の翌日だと思ったのだが,閏年だったので2日後である.1945年の日本の敗戦と共に解体されるまで僅か13年の国家だが,考えてみれば遠い歴史の彼方でもない.不思議な因縁にも思え,当時の現地で何が起きていたのか?知りたくなって買ってみる.記事の最初のページは見開きで,満州国の首都である新京のメインストリートの写真である.正面は新京駅の駅舎のようだ. 大日本帝国が清の皇帝だった溥儀を元首として建国した傀儡国家であることは,中高時代の世界史で学んだので当然知っている.しかし,記事を読むうちに知らなかったことが意外に多いものだと気づく.先ずは「満洲」という言葉である.「満州」は実は戦後に制定された当用漢字や常用漢字を当てたもので,正しくは「満洲」だという.信州や九州みたいな地名なんだと思っていたのだが,語源は地名ではないそうだ.印度起源の仏教の,日本でいう文殊菩薩を信仰する人々が文殊のことを「マンジュ」と称しており,それに漢字を当てたのが満洲である.満洲人が住むところなので満洲という地名に転じたという訳だ.はぁ~そうなんだと,のっけから驚く.彼らは英雄ヌルハチの時代に清朝を樹立し,やがて大挙して清朝の首都になった北京辺りに移住してしまったようだ.清朝は自分たちの故地に他族が立入らないようしていたのだが,経済発展と共に増加した漢人がやがて満洲に大量に移民して来たらしい. あらためて当時の満州国の地図を見ると,大連は満州国に含まれていないことに気づく.満州といえば大連を連想するほどに満洲の主要都市だと信じていたが,よくよく考えると違うのである.日清戦争で1985年に清朝から大連辺りの遼東半島を割譲するも露仏独の三国干渉の結果返還し,その後ロシアが租借していたのを日露戦争で1905年に取り返したのである.この経緯は忘れていたが,以後この地は敗戦まで関東州と称する日本領だったのだ.関東州には1929年設立の東京工業大学より前の1922年に旅順工科大学が大学令に基づいて設置されていたのに対して,満洲国には建国後の1937年に建国大学が満洲国の最高学府として設立されている.関東とは万里の長...

道州制について

最近は道州制の議論が盛り上がらなくなった.個人的には40年余り前から道州制が良いのではないかと考えていた.首都圏一極集中を回避して活力ある地方文化を育てるには,やはりこれしかないだろうという訳だ.何かと全国一律だと,旅をするのもつまらない.モノカルチャーではなく,多様な特色あってこそ,強靭な国土ではないか?個性を磨いて発揮する発想にも通じるはずだ.暮らしや働き方が問われるコロナ禍のいま,あらためて考えてみても良いように思ったりする.大阪都構想なんぞよりよっぽど意味があると考えている. 総論はともかく,区分けについては既に様々案が出ている.どの案を見ても,関東甲信越以外はほぼ同じである.沖縄と九州を一緒にするか分けるかが唯一の論点ではないだろうか?関東甲信越については様々だが,ここは決定打がないように思う.個人的には素直に関東と信越に分けたらどうかと思っている.山梨県は首都圏に入るので関東でよかろう.道州の区分け腹案は図の通りである.◎は道州都予定地,○はその他の人口が概ね100万人以上の政令指定都市を示す. 関東平野を妙に分割する合理性がどこにあるのか?地理的にはそう思うのだが,関東の人口やGDPが突出しすぎるという配慮が働くのだろう.全国に対する人口比は約35%,GDPでは約39%という他に比べてかなり大きな勢力になってしまうからである.南北に分割して北は信越と一緒にする案もあるようだが,これはいかにも取って付けたようで不自然に思う.分割するなら首都の東京23区を東京都として独立させるぐらいが良いのではないか?仮に東京が関東州から独立したら関東の州都はさいたま新都心辺りだろうか?腹案による道州の人口とGDPの比較は表のとおりである.東京23区のGDP統計は公表されていないので不明だが,東京都のGDPからすると,おそらく全国比14~15%程度になると推察される.そうすると,東京23区以外の関東のGDPは全国比で25%程度になるはずだ. 道州の区割けは1994年に始まった衆議院議員選挙の比例区の区割りが基盤になっていると思われる.記憶によれば,あの頃は国会でも道州制の議論が始まった頃で,将来の道州制導入を見越した一面もあった.関東は南北と東京都に3分割されている.そして,北陸と信越が合体している.ここは北陸3県だけだと規模が小さすぎるという配慮もあるのだろう. しかし...

中国を分割するとどうなる?

40年余り昔の記憶である.中国は1978年に鄧小平が改革開放政策を推進して間もない頃で,未だ経済発展前だった.地図オタクの自分は毎日地図帳と地理統計を眺めて過ごしていた.中国という巨大な国が将来経済発展すると日本のような小国は太刀打ちできなくなると思い,一方でこの広い国土が押しなべて経済発展するのはいささか困難が多いなどと漠然と考えていた.そんな素朴な想いから,当時持っていた地図帳に勝手な国境線を引いたのである.記憶によれば1枚目の図の通りだ.深く考えた訳ではないので,昨今に見る地方区分けや,言語(方言)や料理文化の分布からすれば,適切ではない面もあるかもしれない.主に地形や地歴の観点から,周辺の3民族自治区の領域と台湾を除いて概ね日本国と拮抗した規模に揃うよう分けた訳だ.ともかく,当時はこれなら欧州のように平和に経済発展を共有できるような気がしたのである.無論全くの空想空論の範疇に過ぎないが,あくまで未来の平和を願ったものだ. さて,そんなことを思い出して,実際に直近で参照できた2018年の経済統計に照らして比較してみたのが2枚目の表である.当時の中国の人口は8億余りと記憶していたが,実際には1978年で9.6億人のようだ.当時はもう少し古い統計を見ていたもかもしれぬが,現在の14億人のざっと2/3程度である.日本の人口規模を上回るのは華北国のみで,華東国が同程度,あとは同等以下だったと記憶している.今となっては周辺部の民族自治区の3国を除いて概ね日本国と人口が同等以上で,華北国に至っては2.7倍にもなってしまった.更に省ごとに分解するぐらいでないと人口規模では拮抗しない.経済規模でいえば,GDPを中国全土と比較すると日本の2.7倍を超えるのだが,この11分割なら未だ日本国を超える国はないようだ.一人当たりGDPは,未だ華東国を筆頭とする沿海国と内陸国では倍半分近い差があるようだ.その華東国も未だ日本国の1/3程度の水準に留まっている. もし,この地図のようにばらばらの国になったなら,おそらく地域間格差は更に大きくなり,華東国は台湾並みの経済水準に発展し,半数ぐらいは民主政治国家になるのではないかと勝手な想像をしていた.そんな妄想が何の役にも立たないのは,この40年余りの歴史が示している.しかし,巨大な領土を中央集権体制で乗り越えてきた半面,時おりばらばらになる時...

国名・都市名の漢字表記

北京冬季オリンピックの開会式は観なかったのだが,入場順が漢字の画数順だったことが話題になっているようだ.画数が同じ場合は一画目が横書き・縦書き・等の順が決まっているそうだ.あらためて入場国の一覧を眺めてみるに漢字を眺めていても殆ど判らない.これには,現代中国語で用いられている簡体字が我々日本人が使っている略字体と違うことに起因するものもある.そんな訳で,中国語の国名表記を日本語の略字体に置き換えて一覧化した表を見つけ,日本語の国名漢字表記一覧表と見比べてみた. 国名の中国語表記一覧 https://www.benricho.org/kanji/kanji_chimei_chinese.html 日本語による国名の漢字表記一覧 https://kanjitisiki.com/nandoku/kokumei.html ざっと眺めて両者に共通しているのは,中国・日本・印度・朝鮮・台湾・英国・などであり,共通していても国名が脳裏に浮かぶのは蒙古(モンゴル)・泰国(タイ)・越南(ベトナム)せいぜい西班牙(スペイン)辺り迄だろうか?それから字体が異なるだけの例として韩国(韓国)・乌克兰(烏克蘭=ウクライナ)・希腊(希臘=ギリシャ)等があるものの,ウクライナやギリシャを漢字から理解できるのは相当な物知りではないだろうか? 逆に違っている典型例がアメリカ合衆国で,日本語では米国,中国語では美国と略している.日本語には亜米利加というフル表記があるが,何故「亜」ではなく二文字目の「米」なのか?想像するに冒頭のアは弱アクセントなので脱落したのだろう.メリケンに相当する米利堅という表記もあるようだ.オランダ(和蘭)も中国語の(荷蘭)と異なるが,日本語では「蘭」と略す.これも二文字目だが,一文字目の「和」は日本を意味するので避けたのだろう. この他,伊太利と意大利(イタリア),仏蘭西(仏国)と法国(フランス),独逸(独国)と德国(ドイツ),オーストラリアの濠太剌利(豪州)と澳大利亚(澳大利亜),ロシアの露西亜と俄罗斯(俄羅斯)などが主なところだろうか? だけど...そもそも日頃普段国名を漢字で表記する例はかなり限られており,カタカナ表記が一般的である.日本の主要な新聞社等では国名を漢字略称表記の基準を各社で設けているようだ.例えば共同通信社では,「欧州」「英国」「米国」は漢字で表記することと...

モーグルの評価点

北京冬季オリンピックが開催中だが,どうもいま一つ観戦気分が盛り上がらない.そもそもコロナ禍の最中に菌を世界にばらまいた国に集まってのお祭りごとは如何なものかという一面もある.まぁそれはさておいても,元来の天邪鬼で一度もスキーをしたことがないせいもあるうえに,そもそも競技種目をよく理解していないのである. モーグルなんていう競技は長野オリンピックの頃に初めて存在を知ったので24年も経つ訳だ.こぶコブの斜面を滑って降りる途中でジャンプしながら一発芸のごとく一瞬の芸当を見せる.てっきりアルペン競技かと思っていたのだがアルペンでもノルディックでもないフリースタイルというカテゴリの競技だと云う.専ら飛び芸を競うエアリアルやハーフパイプのような種目も同じフリースタイルのようだが,モーグルの配点をみると飛び芸の配点は僅か20%で,こぶコブ斜面を滑り降りる技とスピードに評価の重点があるようだ.幼稚園児の頃からスキーになじんだ倅によれば,あのこぶコブ斜面を滑るのは凄いことだという.実感は解らないが,確かにそうだろう.そして,発祥はアルペンとは関係なく,むしろ北欧や北米らしい. 歴史を辿ってみると,元はこぶコブ斜面を滑り降りて遊んでいたのが1979年に国際スキー連盟にフリースタイル部門が設けられ,1988年のカルガリー五輪で初登場し,1992年のアルベールビル五輪でモーグルが正式種目になったそうだ.つまり昭和の五輪史には殆ど登場しない.昭和人間に馴染みがないのも無理はないのだ.それにしても…エアと称する飛び芸だが,宙返りするような光景をあまり見た記憶がなく不思議に思った.調べてみると,2002年以前はブーツが頭より上に来る技は禁止されていたそうだ.なるほど,娑婆の空気は日々変わっているのだなと,納得する.古びた輩が知らないことは多いものだ.これもまた,遊び心が次の時代のフォーマルに発展すると言う文化史によく見る流れに乗っているのだろう.滑降や回転などのアルペン競技を懐かしく感じる.