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8月, 2023の投稿を表示しています

報道各社の論調

報道とは事実に基づくものに違いないが,人間の考えることにはどうしても価値観が反映されてしまうことが少なくない.価値観の違いは相対的なものでしかないが,便宜的に保守(右)ー革新/リベラル(左)という軸に投影して比較されることが多い.新聞などの報道機関の多くは民間企業なので,それぞれにターゲットの読者層を狙ってか?論調に傾向がある.記事を読むにあたっては,その傾向を知っておかないと,ときに事実誤認の可能性が考えられる. webを家捜しすると,日米英の新聞など報道機関の右-左軸へのプロットが見つかった.先ずは日本だが,朝日の左と産経の右は分りやすい.読売の右寄りは認識していたが,毎日も左寄りのようだ. 米国の新聞といえばNew York Times と Washington Post が先ず思い浮かぶが,いずれも左寄り(リベラル)のようだ.BloombergやGuardian,それにテレビニュースのCNNや三大ネットワークのabc,CBS,NBCなど有名どころの多くは左寄りのようだ.USA TODAYはあっさりした記事の印象だが,これは中道,Wall Street JournalやReutersもほぼ中道のようだ.中道~右寄りで多少なりとも馴染みがあるのはUSA TODAY と FOX NEWS ぐらいである.いずれも読み応えのあるイメージはあまり無く,読む機会が殆ど無いが,それだと,米国を見る目がやや偏ってしまうので,この辺の論調をもう少し知る必要があるのかもしれない.トランプ現象に驚いたのはそういう要因もあったのだろうか? まぁしかし,実際には右ー左の軸だけで捉えられるものでもない.英国ではこの軸に加えて読者層の上流ー中産の階級と2次元配置になっているのが特徴的である.英国と言えば先ずTimesだが,やや右寄りらしい.日本で言えば読売新聞だろうか?Guardianはやはり左寄りでIndependentとFinancial Times は中道なんだ. 図は無いが,フランスのLe Monde は左寄りだったのが穏健派に転換,Figaro は右,Liberation は左寄りらしい. あれこれ眺めてみて,日米英に共通なのは,経済紙が中道に位置しているところだろうか?理由はよく分からない.

歴代の主な新幹線車両

新幹線の車内ワゴン販売が廃止されるという.販売員の確保が難しいらしい.1964年に東海道新幹線が開業して以来車内販売が継続していたのだと思うのだが,車内販売はそれ以前の1935年に始まったようだ.食堂車がない列車で弁当を売るニーズに応えたのだという.東海道新幹線では当初軽食を提供するビュッフェ車が導入されていたが,1975年の山陽新幹線博多延伸と同時に食堂車が導入された.当時は東京から博多まで6時間を要した.しかし,国鉄の分割民営化で客席数確保が優先され,1992年に投入された300系のぞみで食堂車は廃止となった.その後,東北・上越新幹線で2003年まで,ウエストひかりで2008年までビュッフェ車を営業したようだが,いずれも廃止となった.この手の事業は基本赤字が続いて来たようだ.最近は駅ナカやホームに売店やコンビニが増えて,車内販売を利用することはあまり無いのが実感である.しかし,グリーン車ではモバイルオーダーでの販売を継続するという.やはり車内での飲食サービスはプレミア感があるのだろう.かつて東京から新大阪まで,ひかりの食堂車でビールを飲みながら過ごした楽しさは忘れられない.ヨーロッパの鉄道でも事情は同様のようだが,1等席では継続する傾向もあるようだ.航空便の機内サービスと競う一面もあるのかもしれない. 一方で,いろんなことがオンラインで済む社会になってくると,逆に移動時間の過ごし方が課題になって来る.ただ画一的で無機質な座席が並ぶよりも,パソコン席,電話用の席,黙って集中席や寝る席なども良いが,中には御座席列車のように気ままに飲食しながら移動できる席のニーズも復活して来るような気もする.いつも車内では駅で買った缶チューハイと安いつまみで過ごしているが,ひとり黙っての飲食はいささか味気ない気もする.ちょっとひと工夫が欲しいところである.ワゴン販売の終了で終わりと思うよりも,鉄旅の今後の可能性に期待したい.そんな想いで,これまでいろんな場面で乗車して来た歴代の新幹線車両を振返ってみる. 子どもの頃の新幹線といえば0系しかなかったが,社会人になる頃に100系が登場する.国鉄の分割民営化でJR各社が発足したのは自分が就職した1987年4月と同時だったようだ.まもなくバブル経済が始まり,シンデレラエクスプレスは100系の別称のようになる. のぞみが登場したのは1992年ら...

文庫本:患者が知らない開業医の本音

夏休み前半の初日,午後はひとり昼飲みのあと,半分残っていた文庫本を一気に読み進む.著者は自分と同じ年に大学に入り,自分の修士修了と同時に千葉大医学部を卒業した医者である.生まれは1年先輩のようだ.大学の医局で小児外科の研究を続けるうちに脳動脈瘤という治療困難な大病を患い,ストレスという脳への負担軽減のため44歳で退職して開業医を始めたという.場所は自宅から車で30分ほど,近くに時折り訪れる酒屋がある.44歳といえば,自分が組織管理者になった頃に近い.希望の研究職を辞して医院を開業する顛末から町医者の良し悪しの見分け方など,開業医としての想いをストレートに書き連ねた1冊である.取材もデータも無い,手記に近い内容である.開業医になって生まれた自由時間を読書ともの書きに費やしたようだ.8000本を超えるブログを手始めに,毎年1冊のペースで出版しているらしい.クリニックのHPを観ると,更に様々な想いが書き連ねてある.子供の命を預る小児科医の誠実な想いの数々である. 勝手な親近感を抱いて読み進んだが,大した業績もなく大酒飲んでくだらないことばかりfacebookに書き連ねる自分とは比べようもない.仕事を通じて何らか人のためになったとの想いは無くもないのだが,どちらかと言えば,自分はただ,興味のままに過ごして来たと思う.果たしてこれで良かったのだろうか?この開業医ほど確信に満ちた自己肯定感は全く持てない.夏のひとり旅を前に,自分と向き合うきっかけになった1冊である.