習志野といえば...千葉県外だと習志野高校を思い浮かべる人が多いかもしれない.高校野球や高校サッカーで知られた習志野市立の高校である.美爆音と称するブラスバンドの応援団の活躍もある.習志野といえば習志野市のことを考えてしまいがちだが,鉄道の習志野駅も北習志野駅も実は習志野市ではなく船橋市にある.そして,住居表示の習志野や習志野台も船橋市である.毎日の通勤で通過する北習志野駅では,車掌の駅名コールを聞くたびに決して「し」を長く発音してはいけないと思ってしまうのだが...いたって小奇麗な住宅街だ.一方の習志野市には東習志野という住居表示があるが,これは寧ろ習志野市という地方自治体が先に出来て,後から命名された地名のようだ. 習志野市は,旧千葉郡津田沼町が市政施行に伴って名称変更したものだ.その津田沼とは,明治22年の町村合併前の村名だった谷津,久々田(菊田),鷺沼から取った合成地名である.谷津と鷺沼は今でも住居表示の地名として残っているが,久々田(菊田)は地名としては残らず津田沼という住居表示に代わってしまったようだ.今は菊田神社や久々田公園にその名残を観ることができる. それで,習志野という地名の由来はというと...今の船橋市東部から習志野市と八千代市南部にかけて広がった牧場の多い丘陵地だった.そこへ陸軍の演習にやって来た明治天皇が,この地を習志野原と命名したのだという. 〇〇木戸という地名が習志野一帯の周辺部に分布していることに牧場の片鱗が残る.習志野市に隣接する八千代市南部の八千代台小学校の校歌も,♫習志野の〜松の若芽の〜♪という歌詞で始まる.開墾以前は一面の松林だったのだろう.そんな訳で習志野には軍関連の施設が多く造られた.演習場は今でも一部が残って第一空挺団が駐屯する.東習志野には,日本初のソーセージが作られた捕虜収容所もあったらしい.戦前に津田沼にあった鉄道連隊が演習で敷設したのが今の新京成電鉄である.毎日通勤で使っているが,カーブが多くてスピードが出ない.おそらく演習のためカーブをたくさん作ったのかもしれぬ. 新京成沿線は丘陵地に広がる典型的な住宅地であり,大半が船橋市の市域に属する.しかし,成田街道の宿場町と大神宮の門前町と漁師町が合体して成立した船橋のインナーシティとは全く成り立ちが違っている.両者の中間地帯には古く海老川に添った...