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1月, 2025の投稿を表示しています

国家公務員の再就職

日経電子版にこんな広告が現れる.国家公務員の転職を規制する行政規則があるようだ.現職又は元国家公務員が,国家公務員の転職に関わるのは行政規則で禁止されているようだ.国家公務員たるもの,現職元職に関わらず,他の国家公務員の転職に関わってはならぬということらしい.なぜ?こんな広告を出さねばならないのか?霞が関で勤務していた頃に,新卒で入省した国家公務員の半数は途中退職すると聞いた.中には政治家になるケースもあるだろう.しかし,それよりも民間企業に転職するケースが多いようだ.そういう実例が身近にもあった. 本省勤務の国家公務員の給与モデルを観てみると,年収は,本省勤務で順調に昇進すれば,40歳前後で800~850万円程度,45歳前後で1,000万円程度だろうか?一方で,上場企業の平均給与(平均年齢は41歳前後と推察)は650万円程度だが,上場企業とは言っても様々なんだろうか?国家公務員の給与は,順調に昇進さえすれば,それよりは多いようだ. 一方で,大手総合商社の年収を観てみると,1,500万円を超えて2,000万円に迫りつつある.ここ数年は,かなり上昇傾向のようだ.総合商社の平均年齢は42歳前後のようだ.いわゆるシンクタンクの年収も,40歳前後だと1,300~1,500万円程度のようだ.大手商社に近い金額である.国家公務員の年収と比較すれば,ざっくり倍半分の差がある訳だ. 年収以外にも転職の動機はある.公務員は2年程度で様々な部署へ異動するので,特定分野の事情や専門知識がなかなか身に着かない.結局のところ,政策づくりもシンクタンク任せになりがちである.シンクタンクへの多額の委託業務予算を前に,技官の方々は何をしているのか?などと財務官僚が詰問する場面も役所にはあるようだが,専門知識なんて10年単位で専念しないと身に着かないものだ.特に技官にとっては,特定分野の専門性を磨きたいと思う向きもあるので,それならば,高給のシンクタンクで専門家になって役所にへ政策提言する立場に廻る選択肢も魅力的だろう.尤も,実力がないとそういう選択もできないので,優れた人材ほど転職していくことになる.対人スキルや人脈に優れた文官にとっては,総合商社も魅力的だろう.もちろん,民間企業にとっても,平均的には学歴が高く人格も優れた国家公務員は,課題処理の基礎的能力が高い(高速なCPUと大容量のメモリを持...

なぜ横浜「国立」大学なのか?

 昨日今日は大学入学共通テストのようだ.今は私立大学も利用しているが,元々は国公立大学入試の共通1次試験として始まったものである.国立大学は全国に86あるそうだ.戦前は7帝大と11の官立単科大学だけだったのが,1949年の学制改革で旧制の高等教育学校が全て大学に移行して全都道府県に設置され68となる.その後も新設され,合併で無くなった大学を併せると100に及ぶ.しかし,それらの中で,横浜国立大学だけが名称に「国立」の文字が入る. 不思議に思って以前にもその訳を調べたことがある.関係者の中では知られた話のようだが,その経緯をよく承知しておられる横浜国大名誉教授の佐藤菊正氏の記事がある(「横浜国立大学」命名の経緯,横浜工業会だより21号,2008  横浜工業会だより 第21号 - 公益財団法人 横浜工業会 ).要約すると以下の通りである. 新制大学への移行に際して,文部省は1948年に,旧帝大所在地以外の県では1県1校の総合大学を設立し,国立大学はその所在地である県名を冠する方針とした.これに対して,旧制の横浜経済専門学校と横浜工業専門学校は旧制時代から使用してきた「横浜」の名を継続すべく,神奈川師範学校と神奈川青年師範学校の承認を得て「横浜大学」設立の申請書を提出した.一方で,旧制の横浜市立経済専門学校(Y専)と横浜市立医学専門学校も「横浜大学」設立の申請書を提出したのに加え,旧制の私立横浜専門学校も「横浜大学」設立の申請書を提出したので,「横浜大学」の名称争奪戦となる.横浜市は市立大学を横浜に設立する以上は横浜大学以外の名称にはできず,国立大学の名称は他のものにすべきと主張する.これに対して,国立大学側も通りが良い横浜に固執し,国立横浜大学と市立横浜大学の並立で支障はないと主張する.3者会談の結果,先ず私立横専が「神奈川大学」の名称を採用することになったが,国立大側と市立大側は互いに譲らず.その後に市立大は「横浜市立大学」として申請することになったものの,国立大側では「横浜国立大学」案に一部から意義が出る.旧制東京女子高等師範学校の大学昇格に際して,既に設立されていた私立の「東京女子大学」と区別するため「東京国立女子大学」として申請したのを,名称に殊更「国立」を挿入するのは適切でないとして文部省が否定したことから「お茶の水女子大学」の名称になったそうだ.これ...

理工系技術者養成略史

近頃は大学進学に際して理工系への志望が増えているようだ.ものづくりの産業を強化して国力を増大させるには,技術者が必要である.特に世界に通用する先端的な商品を企画・生産するには高度な科学技術を修めた技術者を養成せねばならない. 明治以降に殖産興業政策を推進した日本政府は旧制の理工系大学や専門学校を順次設立した.その推移を追ってみると,専門学校令や大学令によって,それぞれ専門学校や大学が倍増している.大学令までの設立年代を第1期としておく.この年代には,日露戦争を通じて財政や経済などの国力増大が不可欠だったと推察される.大学令後も新設は継続し,1930年頃までに一段落する.この年代を第2期とする. その後,満州事変~日華事変を通じて海外領が拡大し,更なる国力の増強が必要になる.日華事変後の太平洋戦争開始までの間に俄かに理工系の大学・専門学校は多く新設されている.この年代を第3期とする.第1期と第2期では殆どが官立だったのに対して,第3期は私立や公立が増えて来る. そして,太平洋戦争開戦後に新設は急増し,特に専門学校の数は倍増以上の勢いで増加した.これを第4期とする.第4期は官立が減少し,大半が公立や私立による新設になっている.国の財政は戦費調達にフル出動となって,後方の体制づくりは地方や民間の財力に頼らざるを得なかったと推察する.1944年に高等科・大学予科の短縮と専門学校令の改正がり,その後は大半が私立学校や民間企業が母体と思われる新設が大半となる.官立では経済専門学校を工業専門学校に転換する方法としている.武器や戦略物資の増産需要に応えるため,あらゆる手段を講じたのだろう. 民間企業が母体になったと思われる10校程度は終戦で殆どが廃止されている.しかし,第1期から戦時体制下の第4期までを通じて設立された理工系専門学校は,廃止になったものを除いて殆どが新制大学の理工系学部になっている.教育史の知識がない素人考えに過ぎないが,この技術者供給体制が,戦後の高度成長を実現する土台になったはずだと考える.特に第4期から新学制への移行には,相当な率の資源が理工系高等教育に注ぎ込まれたと想像する. 1895 日清戦争勝利 1903 専門学校令 大学: 2,専門学校:5 1905 日露戦争勝利 1918 大学令   大学: 3,専門学校:12 1931 満州事変  大学: 8,専門...