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11月, 2024の投稿を表示しています

アニマルウェルフェアという考え方

先日のこと,珍しく騒音制御工学会のシンポジウムを聞いてみた.人間の活動が生じている騒音が野生生物にどう影響しているかについて,数名の研究者が登壇した.世界的にネイチャーポジティブ(自然再興)の政策がある中で,日本では,この分野の研究があまりにも見られないとの問題意識を抱いていたところである.多少はそんな研究者が居ることが分かり,ちょっとホッとした面もある.しかし,我々が発生している騒音は,思いのほか陸水の野生動物のコミュニケーションを妨げ,苦痛を生じさせ,生存を脅かしていることが,あらためて分かった. そこで、アニマルウェルフェアという言葉が登場した訳だ.訳すと動物福祉なんだろう.ググってみると日本動物福祉協会という公益社団法人の ウェブサイト に行き当たった.読んでみると,人間の保護下にある家畜を対象にしており,どうやら野生動物は保護の対象外のようだ.家畜福祉をSDGsの文脈に位置付ける視点もあるようだが,それでは旧来の産業施策あるいは家畜衛生学の延辺でしかなく,自然再興の考え方とは相容れない.SDGsのうちとはちょっと言い切れないようにも思う. 動物の何に配慮せねばならないかといえば,それは人間と同じく痛みや苦痛を感じるからだという話を聞いたことがある.タコは痛みを感じるか?自ら足を捨てて逃げることもあるというタコの苦痛への思慮である.そんな訳で,欧州の一部の国では, タコを生きたまま茹でてはいけないとの法律 があるらしい.もちろん人間はタコを食べてしまうのだが,命を頂くに当たっては安楽死を願う気持ちは人間と同じという訳である.カニにイカやロブスターも,タコほど強くはないが,感覚があるそうだ.それでは植物はどうなのか?という話もある.植物にも,生きながらえるための知能があると聞くところだ. だけど...自然の生態系において,ある動物が他の動物を食べることはごく普通である.彼らは食べられる側の苦痛を考えて食べているだろうか?そんな疑問を抱いたりもする.やはり,野生の行為は許されるのだろうか?だけど,それもやはり,人間の勝手な考えではないのか?それでも,苦痛を感じさせたまま,生存環境を傷つけ,生存を脅やかすのは,やはり生命倫理にもとるのだろう.ここは,倫理学の知見が必要だ. 【参考】 「タコには身体的かつ感情的な痛みがある」との研究結果 Newsweek日本版 20...

高麗橋は東海道57次の終点

久々にブラタモリを見てみると,東海道57次という聞き慣れないテーマである.東海道といえば,53次と思うところだ.しかし,東海道は近江と山城の国境で2つに分かれ,京都の3条大橋へ至る道とは別に,伏見,淀,枚方,守口の4宿を経て大坂まで続く道があったという. 国道1号が淀川東岸を通っているのは昔から知っていたが,今になってその由来に深く納得する訳だ.上方落語の野崎参りは,淀川を行く屋形船と道中の土手を歩く参拝客のやり取りがネタになっているが,あの道中こそ東海道57次なんだと思い返す.実家があった淀川西岸には,東海道本線が通っているのに,国道は西国街道しか無いのは何故だろうと,少し不思議に思っていたのである. ところで,この57次の東海道の終点は高麗橋だという.そんな橋があることは昔から知っているが,そんなに重要な場所とはつゆ知らず.あらためて地図を眺めると,大阪の中心市街と大阪城を隔てる横堀に架る橋という位置づけのようだ.東京の日本橋と同じく今は高速道路の高架下にある. 歴史の教科書にも記載して,もう少し世間に知らしめても良かろうと思うところだが,どうだろうか? 【参考】大阪市HPから抜粋して一部追記 高麗橋(こうらいばし) 諸元・アクセス 橋長:62.54m 幅員:11.00m 形式:アーチ橋 完成:昭和4年 行政区:中央区 河川名:東横堀川 アクセス:OsakaMetro堺筋線・京阪本線北浜駅 30番出口 およそ250m 徒歩4分      大阪シティバス「天神橋」 歴史・文化 高麗橋は,大阪城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で,慶長9年(1604)には擬宝珠(ぎぼし)をもつ立派な橋となっていた.高麗橋という橋の名の由来には諸説あるが,古代・朝鮮半島からの使節を迎えるために作られた迎賓館の名前に由来するというものと,豊臣秀吉の時代,朝鮮との通商の中心地であったことに由来するというものが主なものである. 高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び,人々の往来が絶えなかった.そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた. 江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ,幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが,この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた. 明治時代には里程元標がおかれ,西日本の主要道路の距離計...