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文庫本:人類と気候の10万年史

 世界の平均気温を産業革命前から2℃より十分下方に抑え,1.5℃以内の上昇に抑える努力をするのが気候変動に対するパリ協定である.人類が産業革命以降に大量の化石燃料を燃やして温室効果ガスであるCO2を大気中に放出してきたことが,温暖化の原因であるという訳だ.しかし,地道な研究があぶりだした15万年の地球の平均気温の変化を眺めて見ると,本来なら今頃の地球はとっくに氷期に突入していたはずだという.福井県にある三方五湖のひとつである水月湖の湖底に蓄積した15万年分の年縞を取り出して丹念に分析することで,15万年にわたる気温の変化を推定した地道な研究が紹介されている. 地球の平均気温は10万年周期と2.3万年周期の2つの周期で変化しているそうだ.しかし,最近の8,000年の変化は,その周期から大きく逸脱しているという.理由は分らないそうだが,1.2万年ほど昔に,地球の気温は突然温暖な気候を安定して維持するようになり,8000年前から更に上昇を続けているそうだ.南極の氷床に封印された太古の空気を分析して見ると,CO2の濃度は8000年前から,メタンの濃度は5000年前から,上昇し続けているらしい.それは,人類が農業を始めたことによってCO2の吸収源である森林を切り開き,稲作などによるメタンの排出が大幅に増加したからではないかというのである. 現在の地球の気候が特殊な状態であり,いつ大きく変化するか分らない状態だということが書かれている.マヤ文明が崩壊したのは干ばつが原因ではないかとの仮説のようだ.そして,何故に人類が農業を始めたかという疑問に行き当る.農業がじわじわとゆっくり拡がった縄文時代後期の事情も気がかりである.ともかく,日ごろに抱いている地球の気候がいつまでも続く訳ではなく,大きく変動するということは理解できた.

人骨のゲノムを解読すると,人類の起源と足跡が判る.

2000年頃に始まった人類学の新潮流を追うと,日本人の成立ちも見えて来るという.その成果によると,アフリカ東部に居たホモ・サピエンスが移動を始め,4万年ほど前に日本列島に辿り着いたようだ.約2万5千年続く旧石器時代を経て,約1万6千年前から土器を使う縄文時代になる.約3000年前から大陸の農耕民が新たに流入してくるようになり,縄文人と弥生人が入り混じって暮らす弥生時代に入る. 縄文時代の暮らしはとてもたいへんだったと,国立科学博物館の鎌田館長は云う.農耕で飛躍的に大量の食糧が確保できるようになった弥生人は人口を大きく増やし,人類学的には縄文人を飲み込んで行ったという.結果的に,現代の日本人のDNAの9割は弥生人から受け継いでいるそうだ.  縄文人と弥生人は外見にも差があったらしい.それ以前に,縄文人も全国一律という訳ではなく,東日本では樺太経由で日本に入って来た系統と,西日本では南方から来た系統が多いなど地域差が大きかったようだ.平安時代頃までは,近畿や西日本では弥生系の,東日本の特に孤島や孤立集落などでは縄文系の人々が多いなど,かなりの多様性があったという.江戸時代頃にはかなり均一化したようだが,東日本ではマタギなど縄文色の濃い人々がかなり最近まで存在した.ゲノムの縄文人度が高い関東~東北や出雲周辺と鹿児島は,古代史で討伐された地方と重なっている.自然人類学のゲノム解析データと歴史学の知見を擦り合わせることで,先史時代が科学的に解明されていくことを期待する. ヤマト政権が成立して以来,日本という国の中で交雑が進み,自然人類学的な地域差は次第に均一化してきたようだ.この間,世界各地に民族国家が形成され,人類の地域差は拡大する方向に進んで来たのだが,大航海時代以降は,とりわけ近年のグローバル社会では,国家の領域を超えた人々の交流が飛躍的に拡大している.このまま年月が進んでいくと,世界の人類は均一化の方向に進むことが予想されるという.これぐらいの時間スケールで世界を眺めて見ると,民族や文明・文化の受け止め方も,変ってくるように思われる.日本人というアイデンティティを捨て去るのは現実的に困難だが,多様性を受入れる素地にはなる気がする. 国立科学博物館 篠田謙一:9割は「外来種」 日本人のDNA 「Jリーグが出来てサッカーが体育科の教育から大勢が日々楽しむものになっ...

文庫本:「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける

 どうやら縄文時代の後に弥生時代がやって来たということではないようだ.1万年にわたって日本列島に醸成された縄文文明は,渡来系の弥生式と互いに影響を及ぼしながら共存し,やがて弥生を飲み込んでしまったと考える方が良いようだ.もちろん縄文文明も変質はしたのだろうが,文明の骨子基盤はそのままヤマト政権の屋台骨になったのではないかと著者は推察している. 縄文人は海運に長けた世界屈指の海洋民族であり,大陸や朝鮮半島の事情をよく知っていただろうと,著者は別の書籍で述べている.稲作を始めると富が蓄えられ,人口は増えるが権力者が搾取して貧富の差ができ,不作になると食料を奪い合って戦争をする.そんな狂気の沙汰の大陸文明を拒み,自然と共生しながら平等で平和に暮らす縄文文明を持続したかったという訳だ.縄文時代も時代が下がると,気候が寒冷化した影響もあるかもしれないが,西日本を中心に稲作が拡がって弥生化が進むうちに戦争が頻発するようになる.そんな動きを止めるために東日本の縄文色の濃い勢力を中心にヤマトが建国されたというのが著者の推理である.ヤマト政権の本拠地である纏向が奈良盆地の東麓なのは,東日本と繋がる要衝だったからだという.そして,キーとなったのは但馬・丹波の「タニハ」勢力だという.弥生先進地域の北九州勢力は,重要物資だった朝鮮半島の鉄の交易ルートを握っていた出雲・吉備と組んで鉄を独占していた.これをタニハが独自ルートで近畿や東海へ流し始めたことで,出雲と吉備は北九州との盟約を反故にしてヤマトへやって来た.神武天皇が南九州からやってきたのは,そこが縄文色濃厚で正に縄文海人が活躍した場所だからだという.そして,北九州勢力は団結したヤマト政権に攻められ敗れる.こうして倭国大乱と言われる戦乱が続いた日本列島に縄文的平和が訪れる.歴史作家である著者の推理で仮説に過ぎないが,こう考えればヤマト建国の謎が解ける気もする. 著者は,タニハ勢力を代表するのが蘇我氏だとしている.糸魚川を遡った安曇地方で採れるヒスイは縄文時代から尊ばれていたが,蘇我氏はこれを全国に流通させる交易ルートを築いていた.しかし,乙巳の変で蘇我氏に代った藤原氏は独裁体制を築き,富を独占する.人々は蘇我氏の飛鳥時代を懐かしみ,藤原独裁体制に反発して武士勢力が台頭していく.そして,270年にわたって続く縄文的平和を江戸幕府が再...