お世話になった鈴木陽一先生が監修の教科書が出版されたと聞いて,購入してみた.データサイエンスは今どきを生きるには欠かせない知識である.ざっと目を通してみたところ,コンピュータや生成AIの何たるかを一般教養として理解するには良い内容が書かれている気がする,大学生や将来ある技術者諸君にはお勧めしたい.生成AIが登場する迄の計算機の発展や,これから生成AIとどう向き合って行けば良いかなど,今どきの一般教養として相応しい内容が含まれている. ペラペラ読み飛ばしながらページを捲るうちに,とある図に目が止まって,あれこれ昔のことを考え始めた.学生時代から,美しい音の響きや不快な音のことを追って来たことを思い出したのである.良いや不快は知的処理,ときには感情処理のレベルが関係する.これは心象の世界である.それを物理的な実体を伴うものづくりの世界と結びつけるには,感覚処理のレベルで捉えねば上手くいかない.感覚を計量する技はそれなりに存在したが,感情や知的処理のレベルに立ち入る技は用意されていなかったのである.生成AIは知的処理のレベルが得意である.急激に発展して実用化の段階に至っている.まもなく感情や感覚のレベルに適用領域を拡げていくのだろう.五感に相当するセンサーと繋がって,ロボットという身体を持てば,人間などの動物と同じである. この図を見て,何故か哲学の認識論のことに想いが至った.身体情報処理という言葉に反応したのだと思われる.人間の認識が物理世界をどう捉えているか,そんな問題を扱うのが認識論だと思えば,生成AIが哲学の世界にも進出するかもしれない.心理世界と物理世界の二元論に立つと,両者の間に存在する越えられない壁が,もしかしたら解消するのではないか?という期待を抱いた訳だが,的外れだろうか?人間が生きている物理的世界の実在を確信するには,身体感覚が重要な役割を果たすという.身体を動かすことによって,身体の内外にある物理的世界の反力や応答を統合的に感じる経験の積み重ねが必要なのかもしれぬ? そういえば,娘が小学生時代のミニバスの指導者は心身二元論(心物二元論)が基盤だった.競技力は身体能力や物理的な条件に加えて,心の持ちようにも依存するという考え方である.一方で,娘が中学生の頃のソフトボールの指導者は,心身二元論は嫌いだと言っておられた.推測の範疇ながら,理学部の...