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フレンチポップスを歌おう

フレンチポップスあるいはシャンソン,ここにあげたのは古いものばかりだけど,名曲も多い.フランス語の独特の音韻が醸し出す不思議な雰囲気,これは英語では無理だろう.西城秀樹の代表曲である「傷だらけのローラ」,それに似た感じの沢田研二の「追憶」これらはミッシェルポルナレフの「忘れじのグローリア」が元歌だともいう.そう言われてみると,確かにフレンチポップスっぽい気もする.そう,日本のヒット曲にもかなりの影響を与えたはずである.ここには,独断と偏見で歌ってみたい?あるいは歌えたらいいな?と思う名曲のリンクをあげてみた.フランス語の流れにどこまでついていけるか?頑張って歌ってみよう! 【初級】シルヴヴィ・ヴァルタン: アイドルを探せ ( La plus belle pour aller danser) 【初級】ミッシェル・ポルナレフ: 愛の休日 (Holidays) 【中級】ミッシェル・ポルナレフ: 忘れじのグローリア (Gloria) 【初級】 フランス・ギャル : 夢見るシャンソン人形 (Poupée de cire, poupée de son) 日本語バージョン 【中級】シルヴヴィ・ヴァルタン: あなたのとりこ ( Irrésistiblement ) 歌詞字幕付   和訳歌詞字幕付 【中級】ミッシェル・ポルナレフ: シェリーに口づけ (Tout tout pour ma chérie) 【中級】ジョー・ダッサン: オーシャンゼリゼ (Les Champs-Elysees) 【中級】エディット・ピアフ: 愛の賛歌 (Hymne à l'amour) 【上級】ダリダ&アラン・ドロン: あまい囁き (Palores palores) 【上級】アダモ: 雪が降る (Tombe la neige) 【上級】イヴ・モンタン: 枯葉 (Les Feuilles Mortes)

文庫本:東京大学第二工学部

「東京大学第二工学部」という新書を借りて読んでみた.1942年の設置から9年後に消滅した旧制東京帝国大学の学部のことである.戦後に規模を縮小して生産技術研究所となり,跡地の大半は新制千葉大のメインキャンパスになった.幻の学部とも言われる.既に国内最大の工学部があったのに何故学科編成も規模も同程度の第二工学部を新設したのか?読んでみると当時の国家戦略が浮かび上がってくる. 圧倒的な工業生産力を誇る米国に大東亜が伍するためには工学技術者を大増員せねばならない.無謀とも思える米国との戦争に突入した背景にも,そのような理詰めのプランが存在したようだ.国家総動員法が制定された1938のあと,1939年には医学部と工学部からなる名古屋帝大(1942年理学部設置),そして藤原工業大(後に慶應の工学部となる)を設立している.また1941年には京城帝大に理工学部,1943年には台北帝大に工学部を設置している.横浜や神戸などの高等工業を大学に昇格させる案もあったようだが,これらは新制の横浜国大や神戸大の工学部となるまで実現しなかった. 実際には米国が開戦を急いだ?おかげで,第二工学部が戦時中に送り出した卒業生は1944年の1期生のみ,この間に行われた軍の委託研究も実戦配備されることはなかったという. しかし,研究成果は民生転用され,戦後日本の発展を中心となって推し進めた著名な学者や大企業の経営者などが多数育った.GHQの方針により一斉に新制大学が始動したのが1949年,募集を停止し第二工学部は1951年に第8期生を送り出して閉学する.その前年に勃発した朝鮮戦争の特需によって,日本は工業生産力を回復した.設置の思惑とは違ったものの,激動の10年間に優れた教育研究を遂行し,産業の発展に寄与したことが解った. 第二工学部は10学科69講座を有し,本郷の第一工学部の定員378名を上回る420名の入学予定数の日本最大規模の工学部として誕生した.1941年に設置が決まってから開学まで1年間しかなく,実際の施設整備は追いついていなかったようだ.誘致した千葉県と千葉市が用意した敷地に,予定していたRC造の資材がないので木造2階建ての学舎を建てた.学舎やインフラの整備は遅れ,入学者をがっかりさせたようだ.開学当初は稲毛駅から20分の徒歩を余儀なくされたが,まもなく西千葉駅が新設され,最寄りの京成浜海岸駅...