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文庫本:生物はなぜ死ぬのか

生物はなぜ死ぬのか?既に余命の方が短いこと確実な年齢になり,ふと本屋で見かけた文庫本を読んでみる.死ぬことも大切な人生の節目である. 要約はリンク先の商品説明にある通りだが,生物学的な意味をひと言で言えば,多様性確保のためなのだそうだ.地球上の生物は過去に5回も大絶滅を繰り返している.その度に違うタイプの生物が盛り返して生物は生き抜いて来た訳だ.多様性ゆえに,変わりゆく環境に対応した別の種が繁殖できるのだという.しかし,個人的に腹落ちしたのはむしろ,著者が私見だとして示した見方の方である.それは,世代交代する方が生存可能性が高まるという考え方である. まずもって,細胞分裂の回数には限りがあるようだ.遺伝子のコピーを重ねることで増えるエラーを防止するためにそうなっているらしい.癌化細胞も遺伝子のコピーエラーが原因のようだが,55歳を越えると癌の発生率は急に上昇するという.55歳が設計寿命ということだろう. 第2に,細胞は活動エネルギーを得るため糖や脂肪を燃焼させ続けるので,燃焼反応による活性酸素が遺伝子に限らずいろんなところを酸化,つまり錆びさせる.老化は避けられない. 第3に,生殖細胞が減数分裂するとき両親から引き継いだ遺伝子を一部交換するので,世代が下がるほど遺伝子の多様性が増す.つまり次世代の方が生存力が高いそうだ.親は子孫を残せばさっさと消えていく方が生物全体としての生存可能性が高くなる.実際に産卵後にすぐ死ぬ生物は結構いる.しかし,人間は生まれてすぐに自力で生きてはいけないので,自立するまで子を育てなければならない.だから,子が育ったら親世代は子世代に譲って死にゆくのが仕組まれた死のプログラムである.なるほどと納得する. しかし,死ぬのは嫌だと我儘をいう奴がいる.秦の始皇帝もそうだったらしい.不老長寿の薬は世の権力者の長年の夢だったようだ.近年はこの方面の研究が活発になっていると著者はいうのだが,長生きが楽しいか否かは,考えてみれば簡単に割り切れるものでもない気がする.だけど,死ぬのは嫌だというのも分からないではない.生物の死に方は大きくアクシデント死(食べられるとか事故とか)と寿命死(老衰など)に分けられるそうだが,人間の場合は後者が多い.長生きするためには,食べ過ぎないという方法があるらしい.糖分の燃焼を抑えて錆の元になる活性酸素を減らすことにつながる....

動画:坂の上の雲

突撃!勇ましい言葉である.生きるか死ぬか,命を懸けて敵陣へ突っ込んでいく攻撃に身を置く覚悟とはどんなものだろうか?入試の受験もまた,突撃を連想させる.成否五分五分の勝負に勇ましく望むのは良いのだが,むやみに敗れる訳にもいかぬ. 坂の上の雲は司馬遼太郎の小説である.明治維新のあと,日露戦争の勝利無しに日本は先進国になりえなかった.無論太平洋戦争も無かっただろう.国の存亡をかけた一大事,大国ロシアの脅威に立ち向かった日露戦争は今のウクライナ戦争に通じるところもある.ウクライナの戦況を日々見るに,高地を確保するのが守備の定石,高地に向って攻め上るのは圧倒的に不利のようだ.その不利な戦況で突撃し,戦況を決したのが203高地の攻防戦である.あらためてYoutube映像を観てみる.ドラマ仕立てなのは致し方ないが,降り注ぐ砲弾をかいくぐって突撃する日本軍が死屍累々の斜面を攻め上って頂上に日の丸を掲げる.戦況を支配した瞬間である.旅順攻防の戦死者は日露とも各5,000名,負傷兵は各12,000名に上るようだ.日本軍の投入戦力は約28,000人なので,その約6割が死傷した計算になる.無傷で残った人員は2.5分の1となる.ともかく,突撃という言葉を耳にするたびに,この203高地攻防戦の攻防戦を連想してしまうのは自分だけだろうか? さて,話は入試に戻って,受験にあたってはまず合格の成算を建てるところだ.我家の受験生も無論成算を建てただろうが,傍目には不安で突撃に見えたところがある.高レベルな試験を攻略するのは坂の上に攻め上ると同じく容易ではない.率直なところ気が気ではなかったのだが,浪人覚悟なのだと気楽に受け止める.明日は予想倍率6倍強を勝ち抜けるだろうか?203高地攻防戦の生存率は2.5倍だった.将来の存亡を掛けて精一杯に頑張ってもらいたい.

母校の歌

  第3応援歌「 もゆる想いに 」 応援歌「 宇宙を股に 」 応援歌「 栄光は常にわれらに 」 愛唱歌「 商神 」 神戸大学「 学歌 」 蒼開中高 「 校歌 」

文庫本:京の食文化

しばらくぶりに文庫本を読む.「京都の食文化」と題する佐藤洋一郎氏の著作である.氏は京大農学部ご出身の農学博士で,京都府立大の京都和食文化研究センターの特任教授を務めておられる. 京料理といえば和食の頂点に冠たる懐石料理を連想してしまうのだが,人類普遍のというよりは,京都の土地に根付いた極めてローカルなものだということが分かる.まぁ考えてみれば,京都オリジナルだからこそ価値があるのだろう.京野菜,川魚,お茶,水,昆布に鯖,食材は京都近郊や鯖街道を経て入手できるものばかりである.コシヒカリの元になった旭という米の品種も,元は京都で栽培された酒米だという.酒,味噌,漬物,鯖棒寿司などの寿司,和菓子,などなど,加工・調理にも専門性の蓄積がある.料亭の経営とは,料理の傾向に合った京野菜の栽培に始まり,出しを取る水や昆布も,付合せの食材も,更には食器や庭までも,客の要望に合うものを農家やお店や職人と直接会話しながら模索し続けるもののようだ.客も見識を問われる.一見さんお断りとは,京料理を知らずその維持発展に貢献するご意見を提供できないお客を相手に商売をすると食文化を健全に継続していけなくなる,それを防止する手立てなのだそうだ.ちなみに,懐石料理とは本来茶事の際に出される簡素なもので,フルコースだと数時間を要するそうだ.それを品数も増やして2時間程度に縮めたものが会席料理とのことである.また,茶道を通じてお茶と和菓子が発展したのはいうまでもない. 一方で,禅宗のお寺では精進料理を出すところが多い.仏教の不殺生の教義によるものと思っていたが,その起源は穢れを避ける古来の修験道の修行に遡るようだ.たんぱく源として貴重な大豆は日本原産らしい.豆腐や味噌や納豆に加工され,精進料理には欠かせない食材となる.また,玉子と鶏肉は「四つ足」じゃないので穢れの対象とならず,許容されるといことは知らなかった.昔は宿泊施設が整っておらず,武士などは専らお寺に宿を求めたらしい.その営業戦略の一環として,精進料理が発達したのだという.原動力となったのが「もどき料理」で,野菜や豆腐を肉や魚にみたてて話題となることを競ったようだ.なので仏教の教義とはあまり関係ないらしい. 美味しいものの話が続いたが,一般的な京都人はあまり外食をしないそうだ.忙しい商家が多いので,寿司やパンなど調理済食品は馴染むらしい.また,...