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42年前の国立大学の入試偏差値

卒業した大学の入試難易度がどれぐらいだったのか?と思って検索すると入学した翌1982年の進研模試の偏差値表が見つかる.工学部の偏差値は60だ.一方で,ベネッセの最新の偏差値表だと64である.この間42年で難易度に変化があったのだろうか?2つの表を見比べると,東北大と北大の間に位置することに変わりはない.全体的にプロットの相対的な関係は相似形なので,おそらく母数の違いではないかと推察する.難易度が上位の大学の入学定員が同じだと仮定し,正規分布に従うなら,表示の偏差値以上の人数が同数になるには60のときの母数に比べて64のときは母数が2倍でなければならない.しかし,42年前の共通1次試験の受験者数が約35万人なのに対して,直近の共通テストの受験者数は51万人なので1.5倍でしかない.1.5倍は偏差値にして2程度の差に相当するので,残りの2程度難化したのだろうか?

42年間で大学進学率は大きく上昇し,当時は無かった大学も多数設置されている.今や大学全入時代の到来とも言われる.4大進学者数は約41万人から約63万人へ,これも1.5倍に増加している.現役志願率61%から直近の志願者数を推定すると約67万人となる.これを偏差値算出の母数とすれば35万人の約2倍となる.受験産業の浸透によって,昔は国公立大志願者相当の受験生しか模試を受けなかったのが今は全志願者が利用することになったと考えると,母数の辻褄は合うことになる.所詮母数が異なる偏差値を比較しても仕方がないといえばそれまでだが,実態はどうだろうか?

ちなみに,理工系の偏差値の変化を詳細に見ると,東大(理Ⅰ)の数値が75の最高値であることは変わりない.そこからの42年前の各大学学部の数値との差を0.7倍すると,偏差値60程度以上の領域では,最新の各大学学部の偏差値に概ね該当している.その推定値からの実際の偏差値の平均誤差に着目すると,学部別平均では工学部はほぼ0,理学部は-1,農学部は+2となっており,全体として農学部の難易度が上昇の傾向である.また,メインキャンパスが市内から不便な郊外に移転した広島大,金沢大,都立大,九州大では,学部に依らず移転のない他大学に比べて平均で3程度低下している.逆説的には,そういった要因で国公立大の入試偏差値の変化が説明できてしまう訳だ.

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