久々にブラタモリを見てみると,東海道57次という聞き慣れないテーマである.東海道といえば,53次と思うところだ.しかし,東海道は近江と山城の国境で2つに分かれ,京都の3条大橋へ至る道とは別に,伏見,淀,枚方,守口の4宿を経て大坂まで続く道があったという.
国道1号が淀川東岸を通っているのは昔から知っていたが,今になってその由来に深く納得する訳だ.上方落語の野崎参りは,淀川を行く屋形船と道中の土手を歩く参拝客のやり取りがネタになっているが,あの道中こそ東海道57次なんだと思い返す.実家があった淀川西岸には,東海道本線が通っているのに,国道は西国街道しか無いのは何故だろうと,少し不思議に思っていたのである.
ところで,この57次の東海道の終点は高麗橋だという.そんな橋があることは昔から知っているが,そんなに重要な場所とはつゆ知らず.あらためて地図を眺めると,大阪の中心市街と大阪城を隔てる横堀に架る橋という位置づけのようだ.東京の日本橋と同じく今は高速道路の高架下にある.
歴史の教科書にも記載して,もう少し世間に知らしめても良かろうと思うところだが,どうだろうか?
【参考】大阪市HPから抜粋して一部追記
高麗橋(こうらいばし)
諸元・アクセス
橋長:62.54m
幅員:11.00m
形式:アーチ橋
完成:昭和4年
行政区:中央区
河川名:東横堀川
アクセス:OsakaMetro堺筋線・京阪本線北浜駅 30番出口 およそ250m 徒歩4分
大阪シティバス「天神橋」
橋長:62.54m
幅員:11.00m
形式:アーチ橋
完成:昭和4年
行政区:中央区
河川名:東横堀川
アクセス:OsakaMetro堺筋線・京阪本線北浜駅 30番出口 およそ250m 徒歩4分
大阪シティバス「天神橋」
歴史・文化
高麗橋は,大阪城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で,慶長9年(1604)には擬宝珠(ぎぼし)をもつ立派な橋となっていた.高麗橋という橋の名の由来には諸説あるが,古代・朝鮮半島からの使節を迎えるために作られた迎賓館の名前に由来するというものと,豊臣秀吉の時代,朝鮮との通商の中心地であったことに由来するというものが主なものである.
高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び,人々の往来が絶えなかった.そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた.
江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ,幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが,この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた.
明治時代には里程元標がおかれ,西日本の主要道路の距離計算はここを起点として決められた.
高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び,人々の往来が絶えなかった.そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた.
江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ,幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが,この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた.
明治時代には里程元標がおかれ,西日本の主要道路の距離計算はここを起点として決められた.
明治3年(1870)にイギリスより輸入された鉄橋に架け替えられ,「くろがね橋」とよばれていた.現在の橋は昭和4年に架けられた鉄筋コンクリート製のアーチ橋である.欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した親柱が,橋の歴史を物語っている.




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