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学校の部活動のブラック

 仕事の帰り道,カーラジオの言うには中高の学校の部活が行き過ぎてブラック企業の実態と変わらない面があるとの指摘であった.政府の一億総活躍社会推進政策の掛け声もあり,ダイバーシティやワークライフバランスが大切であると産業界のリーダー達もフォローするなか,某大手企業の社長が社員の過労自殺で引責辞任する事件もあった.日本人の仕事一辺倒はかねてより有名であるが,いよいよその歪が無視できなくなってきたのだと推察する.そして,そんな社会の縮図は,実は将来を担う人材を養う中等教育の現場で顕在化しているという訳である.

身辺を見廻せば,大学受験生の娘も,小学校のスポーツ活動に始まり,中高時代は部活に邁進して座学では学び得ぬ知識や経験を重ねて来たと思う.ラジオ番組がいう通り,毎週平日のうち4日間は朝練と放課後は日暮れまで練習,土日は試験期間を除いてほぼ終日練習試合や大会を続けていた.休みが少ない部類の部活だったように思う.練習の後は連日午後10時ぐらいまで塾通い,塾に行かなくても大抵の生徒は自宅などで勉強の時間を確保していたであろう.昔から,勉強に関しては,やり過ぎだのブラックだのいう風潮はないが,その実態はブラック企業の勤務に近いのかもしれない.連日3時間睡眠の猛勉強で難関大学に合格したというような話は,昔からよく聞かされる.我が身の30代ぐらいまでも,仕事で徹夜の記憶は数多い.土日出勤が半ば生活のリズムになっていた.いや,そんな暮らしをしてはいけないというのが,近年の動向のようである.

そもそも,部活って何のためにやっているのか?上述の通り,座学中心の正課で学びきれない学習のため,人格育成の一環としての位置づけと推察する.スポーツや芸術に触れて心身の健全な成長を図り,団体活動の作法や社会性を身に着ける.大会やコンクールで好成績を納めれば,大きな達成感を経験し,内申点が向上する実利も得られる.生涯の友を得る場合もある.教師の立場からすれば,生活指導や校内秩序を維持する手段という一面もあるだろう.暇になると良からぬことをしでかす生徒もいるのであろう.そんなこんなで,殆ど休みない長時間労働となる部活の顧問が少なくない.一方で,指導の熱が入りすぎて,生徒が壊れたり命を落とす事件もある.企業がダイバーシティやワークライフバランスの実現に取り組まねば人材確保が難しい時代に,教員の確保もまた同様である.部活が大好きだった娘も,教員は休みがなくてたいへんだと,教員志望の勧めには乗らなかった.

文科省では,そういう傾向が特に強い運動部に関する,指導ガイドラインを設けているらしい.覗いてみると, 運動部活動での指導の充実のために必要と考えられる7つの事項 ,というのがあった.いわく,

①特定の顧問だけに任せず学校全体で指導せよ,
②部活特性に合わせて外部指導者を含めた適切な体制を構築せよ,
③指導の内容や目標を明確に,生徒のニーズ意見を反映して年間のバランスのとれた計画を,
④適切なコミュニケーションで生徒の意欲や自主性を確保(科学的裏付けのある説明と理解・生徒の心理への配慮とフォロー・信頼関係と人間関係の構築・リーダーの育成など),
⑤厳しい指導(肉体的・精神的)と体罰等の許されない指導の区別,
⑥最新の知見を踏まえた科学的な指導,
⑦指導者の資質向上(校長の理解・マネジメント力の習得),

確かにごもっとも.娘の部活の歴代顧問の顔が次々と浮かんできた.さてさて,いろんな顧問がいたなと思う.理想と現実,それらの乖離を認識しているか?乖離を埋める努力はどうか?実際の道のりには,課題が満載に見える.地域のスポーツ活動にもまた,同様の課題があると思われる.

参考文献)運動部活動の在り方に関する調査研究協力者会議 : 運動部活動の在り方に関する調査研究報告書 ~一人一人の生徒が輝く運動部活動を目指して~,文部科学省ホームページ,H25.5.27.

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