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文庫本:ハーバードでいちばん人気の国・日本

なぜ世界最高の知性はこの国に魅了されるのか

ハーバード大学経営大学院の授業で教えている様々なケース(事例)の中で,日本企業のものが人気が高いらしい.その訳を解説してくれるPHP新書の一冊.著者は佐藤知恵氏,東大教養学部卒業後NHKのディレクターとなり,コロンビア大学経営大学院を修了した作家・コンサルタントである.ハーバードといえば世界のトップ企業の社長や大統領も多数輩出している.授業ではケースを読んで各自がその企業や国のトップだったらどうするか,発言しあっての議論をおこなう.彼らが日本の何に注目しているのか?目を通してみると,解っているようであらためて納得することもあるものだ.ここでは,書籍が示す主旨の要約を試みた.

新幹線お掃除劇場の誇り:新幹線の車内清掃をするおばさん達,東京駅で折り返す列車の停車時間は12分,乗降に必要な時間を差し引いた7分で全車両の清掃を済ませる.新幹線お掃除劇場とか7分間の軌跡などと言われる.そのすさまじく手際良いオペレーションはどのように生まれたのか?ディレクターが7分間で掃除を終えろとただ命令したところでできる訳はない.厳しく怒ってもダメ.無茶を言われてもできるもんかと反発したり,適当に受け流したり,ミスを繰り返したり,うまくいかないのである.テッセイ(鉄道整備株式会社)のディレクターは,転職を重ねて社会の底辺に流れ着いた掃除のおばちゃん達をやる気にさせた.従業員の不満や提案を”価値のある助言”として聞き入れ,現場と経営陣の距離を近づけた.従業員がディレクターを信頼するようになると提案を出すようになる.提案が採用されると自分の仕事に誇りを持てるようになる.そのマインドを創ることが経営のキモ,こういう現場に溶け込むリーダーシップが今や世界標準なのだという.トヨタのカンバン方式やカイゼン活動にも通じる普遍的なケースという訳である.

最古の国に活きる武士道の倫理観:日本は建国以来二千年近く同じ国体が続くとても歴史が長い国,その分他の国よりも先端を走っている.さまざまな世界初が生まれるのも決して不思議ではない.世界初の先物市場は堂島米会所で誕生した.江戸時代の大阪には幕府公認の機関とルールが整備され,世界最先端の金融システムが実現していたのである.その基盤となったのは,武士道にみられる金銭に対する倫理観,武士は食わねど高楊枝を美徳として民である商人が富めることを支配層が許容したこと,そして国民の知的水準の高さ,識字率も就学率も当時の世界最高水準だったらしい.堂島米会所は幕府と共に廃止となったそうだが,存続していたら日本の金融もその後の世界をリードできていたのかもしれない.そして,明治初期の起業家として取り上げられるのが三菱を創業した岩崎弥太郎と第一国立銀行などの公益企業を多く設立した渋沢栄一である.岩崎の素早い事業展開はGoogleやfacebookのスピード展開に通じるものがある.渋沢が唱えた公益を追求する合本主義は,リーマンショック後に広がりつつある世界の人々の生活向上を目指す価値観の手本になりうるという.そして,明治維新後の日本が独立国家として存続し続けられたのは,支配層が武士であったからではないかという.武士は黒船を見て,アメリカ人が持っている強力な武器に注目,これは脅威だと直感して必死に社会制度を変えていった.方や清の国家戦略を立案していた学者や知識人は,信望する中華思想から欧米が中国の脅威になるとは思いもよらなかった.これが近代の日本と中国の分かれ目だったという見方である.そして,武士道にみられる私利を抑制する倫理観は,世界最強と言われる官僚にも引き継がれてきた.

創発的市場戦略も大切:長年教えられている教材にホンダのケースがあるという.ホンダはアメリカ進出から短期間で,英国企業が牛耳っていたアメリカのバイク市場の43%(1974年当時)を占めるまでになった.ボストンコンサルティンググループ(BCG)はその過程を分析し,説得力のあるグラフでホンダの競争戦略を描いているという.しかし,実際に当時のホンダ役員にインタビューすると,そのような論理的な戦略があった訳ではなかった.アメリカ進出早々に,ドリーム(250cc,350cc)とベンリィ(125cc)の主力商品がともにトラブル続きとなった.アメリカでの長距離走行を想定した設計ではなかったためである.主力商品が販売できなくなったホンダに残されたのはスーパーカブ(50cc)のみ.クルマ社会のアメリカで革ジャンを着たアウトローが乗るバイクの市場には向かない商品であった.その逆境に,スポーツ用品店に販路を求めた.スーパーカブはオフロードバイクとして人気を集め,それまでバイクに乗ることがなかった大学生や女性などを新たな顧客に空前のヒットとなった.戦略には机上で考える「意図的戦略」と現場での発見を取り込んで再構築する「創発的戦略」がある.創業者の本田宗一郎は,市場調査の有効性を認めつつも,それは規制の製品の評判を探る場合だという.それを基にした改良品が売れるかどうかは判らない...大衆がもろ手を挙げて絶賛する商品は,大衆のまったく気づかなかった楽しみを提供する,新しい内容のものでなければならない,と言っている.欧米流の戦略が一般的に意図的戦略であったのに対して,2つのタイプの戦略をうまく取り入れるのが理想という教えである.

リーダーシップ:リーダーにはときに重い判断が迫られる.トルーマン大統領は広島と長崎への原爆投下を決断した.その是非をめぐって様々な考え方がある.「正戦論」というのがあるらしい.「戦争を正当な戦争と不当な戦争に区別し,正当な根拠を持つ戦争だけを合法と認める理論」のことだという.ここでは,戦争する理由が正当か,用いる手段が正当か,の2つの価値判断にさらされる.原爆投下を正当な手段とする論拠は,原爆を投下せずに本土上陸作戦を遂行していたら戦争終結は早くて1946年下半期になり,原爆の犠牲者より多数の死傷者が出たであろうという予測に基づく.実際,初めて使う兵器がもたらす放射線症に関する知見が足りず,原爆が実際にどんな被害をもたらすのかよく判らなかったようである.トルーマンは3つ目の原爆投下を許可しなかったらしい.昭和天皇は日本国民の命を救うことを考えて,戦争はもう終わりにしましょうと,本土決戦を唱える軍人を抑えるモラルリーダーの姿を見せたとある.結論づけるのは難しいが,議論することに意味があるテーマのようだ.そして原発,福島第一原発がメルトダウンしたのは周知の事実,廃炉作業は今後も長期間続く.しかし,福島第二原発も同様に冷却電源を喪失し,間一髪で電源を回復してメルトダウンを免れたことは,記憶になかった.重機を使って一か月かかる電源ケーブル敷設作業を,人力で二日間でやりとげたチーム増田の事例が紹介されている.作業員の中には家族や家を失ったひともいた中で,その場を離れることもなく不眠不休でケーブルを運び続けた人たち,危機的状況の中で客観的な情報を作業員と共有(社会心理学でセンスメーキングという)しながら冷静な集団行動を可能にした増田所長のリーダーシップ,現場作業員の行動力と志の高さ.日本人の「無私の精神」の尊さを教えてくれる.

自覚すべき日本人の強み:日本の強みは日本人そのもの,ハーバードの多くの教授が日本の人的資本を強みとしてあげているという.

①高い教育水準:OECD24か国・地域の成人を対象とした2013年の調査で,読解力,数的思考力とも1位.
②分析的な特性:どんな質問に対してもデータをもとに分析的に答える傾向がある.
③美意識,美的センス:現代の卓越した技術者は,優れた技術者であると同時に秀でた芸術家でなければならない,と本田宗一郎は言ったそうだ.アップルが愛されるのも,美的センスに拘ったデザインを追求していることにあるのだが,創業者スティーブ・ジョブズは日本の美意識にとても敬服している.創意工夫で,商品も美しければ包装も美しい日本という国.
④人を大切にするマインドと改善の精神:社員を人間として大切にする企業文化,国として長い歴史を通して模索してきた結果が日本の伝統・文化である.
⑤環境意識と自然観:人間が自然を犠牲にしてもよい理由はどこにもない,日本人は限られたものをどうやったら有効に使えるかずっと昔から考えて来た.その知恵が詰まっている.
⑥社会意識:日本企業には公益を重視するビジョンを掲げるところが多い.人の役に立ちたいという気持ち,企業には社会をよくする責任があるという考え,社会に対する使命感と社会を繁栄させていこうとするマインドセット,心配り,他者を思いやる気持ち,これらがイノベーションの源泉となってきた.

快適な国でありすぎるジレンマ:日本の課題はほぼ次の3つに集約される.

①グローバル化,
②イノベーションの創出,
③若者と女性の活用,が進まないことである.

日本の若者は昔に比べて勤労意欲が少なく,世界に挑戦しようなどとあまり思わなくなっている.国内が快適過ぎてその必要性を感じないのである.しかし,高齢化は千載一遇のチャンスをもたらす.若い労働力が不足するので,それを解決するにはイノベーションを起こすしかないのである.もっと若者と女性の能力を活用すべきである.

近頃は日本の良さを強調する論調が増えている.本書もそのひとつかもしれないが,単なる防衛機制的な主張ではなく,しっかり問題提起もされえいるあたりが客観的・建設的と感じた.変化絶え間ない世界情勢のなか,狡猾な国々と競い合って生き抜いていかねばならない.自分のことも相手のことも,長所短所を客観的に理解して,次の一手を考え抜く.日本のことを理解しようとするアメリカの知性,そしてアメリカの知性が理解する我々日本人の姿に,教えられるところが少なくない.

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