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老舗の建築科

教育機関も古くからある方が名門だという一面があるようだ.特に卒業生の多くが建築のような特定の業界へ職を求める学科ではそのような傾向になりがちである.確かに同窓人脈が広く上の世代まで伸びていると都合が良い場合もあるだろう.まぁしかし,そんなに都合の良いことばかりでもなかろうと思う.人気があるのが名門の証だとすれば,やはり入試の難易度が重要となるだろう.両者にはどれぐらいの相関があるのだろうか?全国の建築科を創立の古い順にならべてみた.また大学でない旧制教育機関で創立したものついては,大学課程となった年代を併記した.難易度の指標として偏差値[1981年代ゼミ・2020年ベネッセ]も付記してみた.

東京大学[67・77]国:1877(工部大学校造家学科),1886(帝国大学工科大学造家学科),1898(建築学科)
東京芸術大学[55・]国:1896(東京美術学校図案科),1926(建築科),1949(東京芸術大学美術学部建築科),
東京工業大学[61・70]国:1901(東京高等工業学校図案科),1902(建築科),1929(東京工業大学工学部建築学科)
京都工芸繊維大学[54・61]国:1903(京都高等工芸学校図案科),1944(京都工業専門学校建築科),1949(京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科)
名古屋工業大学[56・62]国:1905(名古屋高等工業学校建築科),1949(名古屋工業大学建築学科)
早稲田大学[61・73]私:1910(早稲田大学理工科建築学科),1920(早稲田大学理工学部建築学科)
京都大学[62・74]国:1920(京都帝国大学工学部建築学科)
日本大学[50・60]私:1920(日本大学高等工学校建築科),1928(日本大学工学部建築学科)
神戸大学[57・65]国:1921(神戸高等工業学校建築科),1949(神戸大学工学部建築学科)
千葉大学[56・63]国:1922(東京高等工芸学校工芸図案科),1924(建築科),1949(千葉大学工学部建築学科)
福井大学[・55]国:1924(福井高等工業学校建築科),1949(福井大学工学部建築学科)
横浜国立大学[55・67]国:1925(横浜高等工業学校建築科),1949(横浜国立大学工学部建築学科)
大阪工業大学[50・54]私:1927(関西高等工学校建築科),1949(大阪工業大学工学部建築学科)
芝浦工業大学[57・67]私:1927(東京高等工商学校建築工学科),1954(芝浦工業大学工学部建築学科)
東京都市大学[・62]私:1929(武蔵高等工科学校建築工学科),1949(武蔵工業大学工学部建設工学科),1957(建築工学科)
東北大学[59・67]国:1930(仙台高等工業学校建築科),1949(東北大学工学部建築工学科),1957(建築学科)
熊本大学[54・56]国:1942(熊本高等工業学校建築工学科),1949(熊本大学工学部建築工学科),1955(建築学科)
大阪市立大学[56・62]公:1943(大阪市立都島高等工業学校建築工学科),1949(大阪市立大学理工学部建築学科)
鹿児島大学[52・51]国:1944(鹿児島県立工業専門学校建築科),1949(鹿児島県立大学工学部建築学科)
工学院大学[・64]私:1944(工学院専門学校建築科),1955(工学院大学工学部建築学科)
東京都立大学[55・61]公:1946(東京都立工業専門学校建設科),1949(東京都立大学工学部建設工学科),1956(建築工学科)
法政大学[50・67]私:1947(法政工業専門学校建設科建築専修),1950(法政大学工学部建設工学科建築専攻),1965(建築学科)
北海道大学[57・65]国:1948(北海道大学工学部建築工学科)
明治大学[54・70]私:1949(明治大学工学部建築学科)
広島大学[55・60]国:1949(広島大学工学部土木建築工学科),1961(建築学科)
東海大学[44・50]私:1950(東海大学工学部建設工学科),1966(建築学科)
名城大学[49・63]私:1950(名城大学理工学部建設工学科),1972(建築学科)
大阪大学[60・68]国:1952(大阪大学工学部構築工学科),1966(建築工学科)
九州大学[58・64]国:1954(九州大学工学部建築学科)
東京理科大学[60・71]私:1962(東京理科大学工学部建築学科)
東洋大学[44・50]私:1962(東洋大学工学部建築学科)
名古屋大学[59・66]:1963(名古屋大学工学部建築学科)
千葉工業大学[45・57]私:1963(千葉工業大学工学部建築学科)
近畿大学[48・66]私:1963(近畿大学理工学部建築学科)
中部工業大学[・54]私:1964(中部工業大学工学部建築学科)
福岡大学[50・53]私:1964(福岡大学工学部建築学科)
東京電機大学[48・58]私:1965(東京電機大学工学部建築学科)
神奈川大学[48・54]私:1965(神奈川大学工学部建築学科)
室蘭工業大学[・51]国:1966(室蘭工業大学工学部建築工学科)
関西大学[55・63]私:1967(関西大学工学部建築学科)
愛知工業大学[・56]私:1968(愛知工業大学工学部建築学科)

せっかくなので創立年と入試偏差値を散布図にしてみた.■は旧制の大学になっていた機関のプロットである.

建築科の創立年と入試偏差値(1981年代々木ゼミナール)の散布図

建築科の創立年と入試偏差値(2020年ベネッセ)の散布図

元より相関が無い方を期待していたのだが,意外にも弱い相関があるのかもしれない(未検定).創立順9位の母校の入試難易度はほぼそれぐらいかもしれない.しかし,東大(1877年創立)のデータを除けば,全体的には相関は低くも見える.r2乗の数値からすれば,入試偏差値の2~3割程度が創立年で説明できると解釈できる.その他の要因の方が影響が大きい訳だ.そもそも偏差値が高い旧7帝大のうち4大学と私立の東京理科大は戦後になってから設置されている.やはり名門機関に設置された場合は新参でも人気が高く名門入りするということだろう.考えれば当たり前のことだ.ブランドには人材や資金が集まるという訳である.

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