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“Island” by King Crimson

 時おり無性に聞きたくなる曲がある.そんな気がするたびに何度も聴いてきた曲のひとつにキングクリムゾンのアイランドがある.ちょっと黄昏た気分で少し酔いが廻った頃が多いのだが,そんなときにこの曲を聴くと,妙に心が落ち着いて運命を受け入れる気になるのである.ヴェルディの運命の力とは違って,どちらかといえば力みも無く至って自然体で明日に向き合えるのだと考える.黒人音楽発祥のロックらしいリズムでも無く,西洋文明の伝統上に位置しつつその滅びを拒みもせず,ただ思索のなすままに明日の世界に身を溶け込ませていく,プログレッシブロックの神髄を思わせる名曲だと思う.

学生の頃,部活の合宿の飲み会でこの曲を聴いていたところ,歌詞がとても綺麗だという法学部の秀才女子がいた.バカ工学部の自分がどういうことを歌っているのかと尋ねたら,ただ歌詞が綺麗だといっただけで歌詞の内容のことなど言ってないとうっとおしがられた.あのときは,どちらもだいぶん酔っ払っていた.いまあらためて聞いてみると,確かに歌詞の音韻を追うだけでうっとりするところもある.そんな想い出や理屈はともかく,メロディも展開も秀逸である.何度聴いても心に刺しこむ名曲だ!いまいちど,洲本の大浜公園に打ち寄せる波を眺めながら聞いてみたい. 

King Crimson - Islands 

海に取り囲まれた大地、小川、木々 
波がわたしの島から砂をさらっていく 
夕暮れの景色が色あせていく 
野原や空き地は ただ雨を待ち望んでいる 
少しずつ少しずつ 愛はわたしの 
風雨にさらされた高い壁を 浸食していく 
わたしの島へと押し寄せる 
海の水を防ぎ 風をあやしてくれた壁を 

荒涼とした花崗岩がそそり立ち 
そこからカモメたちが旋回し滑空し 
わたしの島の上で 悲し気な鳴き声をあげる 
夜明けの花嫁のベールは、湿って青白く 
太陽の陽の中に溶けていく 
愛の織物はつむがれる ー猫たちはうろつき ネズミは走る 
手癖の悪い野バラは花輪となり 
野バラにいる フクロウたちはわたしの目を憶えている 
すみれ色の空よ わたしの島に触れておくれ 
わたしに触れておくれ 

風の真下で 無限の平和が 
波を追い返す 
島々は天の海の下で 手をつなぐ 

暗い港の埠頭は 石でできた指のように 
どん欲に わたしの島から手を伸ばす 
船乗りの言葉をかき抱くんだ -言葉は真珠とヘチマとなって 
互いに愛し合い 輪になって結びつきながら 
わたしの浜辺にまき散らされている 
大地、小川、木々は海へと帰る 
波がわたしの島から砂をさらっていく 
そしてわたしからも

風の真下で 無限の平和が 
波を追い返す 
島々は天の海の下で 手をつなぐ 

Earth, stream and tree encircled by sea 
Waves sweep the sand from my island. 
My sunsets fade. 
Field and glade wait only for rain 
Grain after grain love erodes my 
High weathered walls which fend off the tide 
Cradle the wind 
to my island. 

Gaunt granite climbs where gulls wheel and glide 
Mournfully glide o'er my island. 
My dawn bride's veil, damp and pale, 
Dissolves in the sun. 
Love's web is spun - cats prowl, mice run 
Wreathe snatch-hand briars where owls know my eyes 
Violet skies 
Touch my island, 
Touch me. 

Beneath the wind turned wave 
Infinite peace 
Islands join hands 
'Neath heaven's sea. 

Dark harbour quays like fingers of stone 
Hungrily reach from my island. 
Clutch sailor's words - pearls and gourds 
Are strewn on my shore. 
Equal in love, bound in circles. 
Earth, stream and tree return to the sea 
Waves sweep sand from my island, 
from me. 

Beneath the wind turned wave 
Infinite peace 
Islands join hands 
'Neath heaven's sea.

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