スキップしてメイン コンテンツに移動

日本語のアクセントは中国語の四声由来か?

関西弁のアクセントは中国語の四声由来だという話を聞いて,関西で生まれ育った身としてはとても納得したことがある.

関西弁の四声:https://togetter.com/li/1227684
一方で,方言は京阪を中心とした同心円状に似た言葉が分布するとの説明もあり,高度な知識を持った渡来人が多く移住した関西から地方へ新しい言語が伝搬したとの考えもある.関西に多い京阪式アクセントに対して,元々の日本語にはアクセントがないという話も聞き及ぶ.じゃあ東京辺りの言語はどうかといえば,京阪式とは違うものの,やはり四声があるという指摘があり,これはこれで説得力を感じるところだ.
それでは東京式アクセントは何に由来するのだろうか?と疑問が湧いて来る.
日本語のアクセント分布を観ると,大きくは京阪式と東京式,そして無アクセント等に分類されるようだ.関東でいえば,南関東は東京式であるのに対して,栃木・茨城~東北南部は無アクセント(だっぺ言葉)になっている.


この図を,「縄文人・渡来人,どっちに近い?」との,縄文人系ゲノムと渡来人系ゲノムの比率を示す分布図と比較すると,渡来人に近い地域と京阪式アクセントの地域が重なる傾向があるようだ.


そこで,東京式アクセントがどこから出てきたのか?という疑問に戻るところだが,これには諸説あって決定的な説明が未だ無いようだ.そして,京阪式アクセントの大元である京都のアクセントにも歴史的な変遷があり,室町時代の南北朝の頃を境に大きく変わったという.東京式アクセントがそれ以前の古い時代に由来するのか,後に派生したものか,議論が分かれるらしい.いずれにせよ,平安時代の京都のアクセントが京阪式や東京式の源流になっているようだ.厳密には日本語のアクセントと中国語の声調は異なるそうだが,日本の広い範囲のアクセントに中国語の四声の影響が及んでいるのではないかという訳だ.
こういった文献の記載ではないデータの中に,国土や文化の成立ちの痕跡が残されているように思うのだが,解明には未だもう暫く時間が必要のようだ.今後の研究の進展を期待する.

コメント

このブログの人気の投稿

中央省庁(1府13省)」の略称

政府の府省庁には英語表記を省略した略称があり,これが関係筋などで意外に使われている.代表的なのが大蔵省時代に金融機関が張付かせたMOF担である.大蔵省は財務省とその傘下の金融庁に再編されたが,MOFの略称は財務省に引継がれたようだ.ちなみに金融庁はFinancial Services Agency でFSAが略称のようだ. 一覧を眺めてみると,発音しやすいものばかりではない.MOFとMOFAは若干紛らわしいが,仮名書きにするとモフとモファ…やはり少し区別しにくいだろうか?発音しにくいと普及しないと思われるが,比較的発音しやすいのがMETIとMOE,それからMAFFとMLIT辺りかもしれない.文科省はMECSSTになるところをMEXTになっている.Xという文字は便利に使われているが,紛らわしい面もある.札幌G7会合で議長国の日本はGXを共同文書に入れようとしたが,分りにくいと不評で採用されなかったようだ.発音しにくいのはMHLWである.母音文字が無いことには少なくとも日本人には発音困難である.ちなみに,表には無いが,内閣官房はCabinet Secretariat でCASと略すようだ.画像の下部の出典にはその略称が使われている.こういう略称は国際的にも広く存在し,IMFやIEAなどの国際機関名や,政府の省庁の略称にもみられ,例えば米国の国務省はDOS,エネルギー省はDOEである.素直に〇〇省と言えば良さそうなものだが,国際標準に倣う流れなんだろうか?どちらかと言えば直接の名指しが憚られるときに用いる隠語のような気もする.存在を広く知られたくなかったMOF担などはその好例かもしれない.

42年前の国立大学の入試偏差値

卒業した大学の入試難易度がどれぐらいだったのか?と思って検索すると入学した翌1982年の進研模試の偏差値表が見つかる.工学部の偏差値は60だ.一方で,ベネッセの最新の偏差値表だと64である.この間42年で難易度に変化があったのだろうか?2つの表を見比べると,東北大と北大の間に位置することに変わりはない.全体的にプロットの相対的な関係は相似形なので,おそらく母数の違いではないかと推察する.難易度が上位の大学の入学定員が同じだと仮定し,正規分布に従うなら,表示の偏差値以上の人数が同数になるには60のときの母数に比べて64のときは母数が2倍でなければならない.しかし,42年前の共通1次試験の受験者数が約35万人なのに対して,直近の共通テストの受験者数は51万人なので1.5倍でしかない.1.5倍は偏差値にして2程度の差に相当するので,残りの2程度難化したのだろうか? 42年間で大学進学率は大きく上昇し,当時は無かった大学も多数設置されている.今や大学全入時代の到来とも言われる.4大進学者数は約41万人から約63万人へ,これも1.5倍に増加している.現役志願率61%から直近の志願者数を推定すると約67万人となる.これを偏差値算出の母数とすれば35万人の約2倍となる.受験産業の浸透によって,昔は国公立大志願者相当の受験生しか模試を受けなかったのが今は全志願者が利用することになったと考えると,母数の辻褄は合うことになる.所詮母数が異なる偏差値を比較しても仕方がないといえばそれまでだが,実態はどうだろうか? ちなみに,理工系の偏差値の変化を詳細に見ると,東大(理Ⅰ)の数値が75の最高値であることは変わりない.そこからの42年前の各大学学部の数値との差を0.7倍すると,偏差値60程度以上の領域では,最新の各大学学部の偏差値に概ね該当している.その推定値からの実際の偏差値の平均誤差に着目すると,学部別平均では工学部はほぼ0,理学部は-1,農学部は+2となっており,全体として農学部の難易度が上昇の傾向である.また,メインキャンパスが市内から不便な郊外に移転した広島大,金沢大,都立大,九州大では,学部に依らず移転のない他大学に比べて平均で3程度低下している.逆説的には,そういった要因で国公立大の入試偏差値の変化が説明できてしまう訳だ.

高麗橋は東海道57次の終点

久々にブラタモリを見てみると,東海道57次という聞き慣れないテーマである.東海道といえば,53次と思うところだ.しかし,東海道は近江と山城の国境で2つに分かれ,京都の3条大橋へ至る道とは別に,伏見,淀,枚方,守口の4宿を経て大坂まで続く道があったという. 国道1号が淀川東岸を通っているのは昔から知っていたが,今になってその由来に深く納得する訳だ.上方落語の野崎参りは,淀川を行く屋形船と道中の土手を歩く参拝客のやり取りがネタになっているが,あの道中こそ東海道57次なんだと思い返す.実家があった淀川西岸には,東海道本線が通っているのに,国道は西国街道しか無いのは何故だろうと,少し不思議に思っていたのである. ところで,この57次の東海道の終点は高麗橋だという.そんな橋があることは昔から知っているが,そんなに重要な場所とはつゆ知らず.あらためて地図を眺めると,大阪の中心市街と大阪城を隔てる横堀に架る橋という位置づけのようだ.東京の日本橋と同じく今は高速道路の高架下にある. 歴史の教科書にも記載して,もう少し世間に知らしめても良かろうと思うところだが,どうだろうか? 【参考】大阪市HPから抜粋して一部追記 高麗橋(こうらいばし) 諸元・アクセス 橋長:62.54m 幅員:11.00m 形式:アーチ橋 完成:昭和4年 行政区:中央区 河川名:東横堀川 アクセス:OsakaMetro堺筋線・京阪本線北浜駅 30番出口 およそ250m 徒歩4分      大阪シティバス「天神橋」 歴史・文化 高麗橋は,大阪城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で,慶長9年(1604)には擬宝珠(ぎぼし)をもつ立派な橋となっていた.高麗橋という橋の名の由来には諸説あるが,古代・朝鮮半島からの使節を迎えるために作られた迎賓館の名前に由来するというものと,豊臣秀吉の時代,朝鮮との通商の中心地であったことに由来するというものが主なものである. 高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び,人々の往来が絶えなかった.そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた. 江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ,幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが,この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた. 明治時代には里程元標がおかれ,西日本の主要道路の距離計...