大学入試共通テスト初日の東大キャンパス前で受験生を包丁で切りつける事件が起きた.犯人は名古屋から夜行バスで上京した高2生である.医者になるために東大を目指したが,成績が上がらないので事件を起こして死のうと思ったそうだ.学歴が結果的には富の配分を左右するとはいえ,あまりに0-1的な思考に陥って進路を見失ってしまったようにも見える.動機の解明は未だ不十分な段階と思われるが,今後の捜査が気になるところだ.
大学が最高学府と言われるのは,それより上位の教育機関が無いことによるが,実際は大学に設置される大学院という制度によって2階建て3階建ての構造になっているところがある.大学院の充実度や学部からの進学率は,大学と一括りにされる機関の間でかなりの差が存在する.その差は,原則自由競争原理に基づく私立大学では比較的流動性があるのに対して,国公立の中でも特に国立大学は,国策の重要性を鑑みた優先順位によって整備されてきた経緯もあって,難易度のような単純明快な指標と並んで,歴史的な経緯を踏まえたヒエラルキーが文科省によって定められていると伝聞する.
現代の大学制度の起源となった西洋の大学は中世に形成されている.当時の大学は神学部,法学部,医学部の上級学部と教養学部から構成されており,当時の西洋社会で求められた高度な知識を要する職業だった聖職者と官僚と医者を養成するニーズに応えたものである.日本では明治維新後の明治5年に学制が発せられ,ここで全国を7~8の大学区に分けて,それぞれに大学を設置する構想が打出された.後に7つ設置される帝国大学は,学制で定めた大学区とは設置場所が食違ったりするものの,概ねその構想をなぞったものではないかと推察する.実際には,学制の直後には東大しか設置されなかったのだが,東京大学は医,法,文,理の4学部(当時は分科大学)で発足しており,西洋中世の大学の学部構成に近いところがある.しかし,東大は発足間もなく工部大学校や東京農林学校等の職業系学校を包括して工学部や農学部を増設している.殖産興業の基本政策によりものか否かは教育史の専門家に訊ねてみないと判らないが,新しい社会の要請にも応える構成が考慮されたのだろうか?明治19年の帝国大学令で東大は帝国大学になるが,帝国大学は最高研究教育機関としての総合大学として整備されることになる.但し,商業学校は取り込まずに独立した高等商業学校とし,やがて大学令によって東京商科大学となり,戦後の新学制に伴って一橋大学となる.
大学区ごとの大学設置は直ちには叶わなかったが,東京・仙台・京都・金沢・熊本に後に高等学校となる高等中学校が設置された.これらには大学進学過程の予科のほか主に医学部だが専門学部も設置された.医学部が設置されたのは,それぞれ,千葉,仙台,岡山,金沢,長崎であり,明治33年の実業学校令で独立した医学専門学校となる.帝国大学は,京都を皮切りに東北,九州の各帝大が設置されたが,東北・九州の各帝大では文科系学部は法文学部に集約されていた.一方東北帝大から分離独立した北海道帝大は農・医・工・理の理系学部だけで,文科系学部が設置されるのは戦後になってからである.これら5帝大より遅くに設置された大阪・名古屋の2帝大も同様である. 大学といえば帝国大学に限定されていた訳だが,大正8年の大学令で,私立大学や官立の単科大学の設立が認められるようになる.私立では早稲田・慶應義塾を始めとして明治・法政・中央・日大・同志社,続いて龍谷・専修・立教・立命館・関大等が相次いで大学を設立する.官立では8校あった医学専門学校が医科大学となり,後に大阪・名古屋の各帝大医学部となった2校以外を旧六医大と称する.また,東京商科大学に続いて,高等師範を母体とする東京・広島の文理科大学,東京高等工業学校や神戸高等商業学校が昇格した東京工業大学・神戸商業大学の5官立大学が設立された.時を同じくして設立された大阪市立商科大学と東京・神戸の3校を旧三商大という.
戦後の新学制になって,旧制大学以外の専門学校や高等学校又は大学予科,それに師範学校までが統合されて新制大学となる.しかし,旧制大学とそれ以外の母体では保有資源の差がかなりあり,新制大学の中でも旧制大学の大学・学部は講座制を踏襲して充実した教職員と予算を有する研究教育機関として大学院も併設する.その他の学部や,旧制高校を含む大学予科の教員で構成した一般教育課程又は教養部は教育機関という位置づけの学科目制となって予算面でも大きな差が残った.但し,医学部だけは設立経緯によらず全て講座制となっている.医学部の有無は大学の位置づけ上かなり重要なようだ.このような大学内格差は1980年代迄は続き,旧制大学でない学部にも博士後期課程が設けられるようになったり,一般教養課程が廃止されたりした1990年頃以降も,予算面でも格差は歴然と残っているようだ.国立大学法人化以降は大学独自に学部・学科構成を創意工夫する傾向も見られるが,予算配分の格差に関しては国策なんだから仕方がないと諦めるしかないようだ.そんな訳で,元々総合大学として設立された旧七帝大と,旧官立大学を母体とする学部は,新制国立大学の中でも無条件に上位の位置づけとされて来た.その差は教員の数や大学院の定員などの充実度に顕著に現れており,高グレードな学歴ラベルとして機能している.
自分が大学に入学した翌年の入試難易度データがあったのでランキング表にしてみた.総じて旧七帝大や旧官立5大学・旧6医大を母体に含む大学は伝統の名門大学として難易度も高めの難関校になっている(紫:旧7帝大,赤:旧5官立大,黒太字:旧6医大+旧公立大).こういった大学・学部間の総体的な位置関係は40年経ってもあまり変化していないようだ.
母校の神戸大は,旧5官立大を含んでいるが,自分は旧制大学ではなかった学部の出身である.入学当時の入試難易度は旧7帝大のボトムラインに並んでいるが,教授陣の充実度や予算では相当な差があったようだ.ようやく博士課程後期を設置したばかりの時期で,教員の半数は博士号を取得していなかったと記憶している.大学院(修士課程)の定員は学部の定員の30%しかなく,博士課程後期の定員は数名だった.同級生で博士課程後期に進学したのは国費留学していた中国の留学生だけだったかもしれない.その後,大学院は拡充され社会人学生も受入れるようになる.結局自分は旧7帝大の東北大学から博士号を頂いた.博士になった同級生は外にも居るのだろうか?正確に把握はしていないが,大学の教員になったという話も聞いていないので,居ないのかもしれない.そういう面では稔り少ない学年だったかもしれないが,企業の役員になったりして立派な責任を果たしている人材もある.昨今は大学院の定員も学部の70%程度迄増加しているので,進学率も向上したと思われる.博士号を持たない所属教員もおそらく居ないだろう.かつての教養部や教育学部も国際文化学部・発達科学部,そして国際人間科学部と名を変え改組されて他の専門学部と同列に位置付けられている.
そのような経緯を経て,内実はともかく,旧制大学だった大学・学部とも見た目の格差は縮小したが,やはり旧7帝大の括りはとても強固のようだ.実際に意味を持つのは学歴じゃなくて実力だとはいうものの,出身大学や研究室が自分のラベリングとなっている場面に出会うことが少なくない.頭の悪い大学の出身だと馬鹿にされたこともある.でもまぁ,それは事実だから仕方がない.学歴が文化資本の一部であり,確かに東大や医学部は最上位の学歴ラベリングである.しかし,それだけが絶対の価値観でもない.勉強ができる能力と金儲けができる能力は,実は同じではない.勉強が思い通りにできないからといって希望が無くなる訳でもない.落ち着いて冷静に目標を見極めつつ,少しでも自分の能力が伸ばせるよう頑張ってほしいものである.
ともかく,今年も大学入試共通テストが実施されている.大学進学希望者の多数が受験する.特に国公立大学へ進学したい場合は受験が必須となる.学歴は典型的な文化資本であり,経済資本を再生産してより多くの富の配分を受ける元手となる(文化資本についてはリンク先を参照:https://www.facebook.com/toshiyuki.okano/posts/4679214642192670).
「神」クラスは国公立の中に七帝大と一橋・東工大に加えて神戸大が難関国立10大学としてカウントされているようだ.入試の難易度で区切るとそうならざるを得ないのだが,これらの多くは旧七帝大と旧制官立大学であるのに対して,神戸大は文科系の旧制官立大学と理科系の旧制専門学校等からなる複合大学であるが故に,ときには,理系は特に,同クラスから外されたりする「いじられキャラ」である.私立では早慶が文句なしの「神」クラスなのに対して,上智は学部によって1ランク下との見方もある.これらの大学では理工系の大学院進学率は70~80%以上に達するようだ.
「上流階級」は準難関大学である.国立では東京農工大・京都工繊大・電気通信大・熊本大・新潟大・埼玉大・静岡大・九州工大等,公立の大阪府立大・名古屋市立大・横浜市立大・京都府立大等が該当する.私立では成蹊大・成城大・明治学院大・南山大・関西外大・芝浦工大・豊田工業大・津田塾大・日本女子大・東京女子大等が挙げられる.国学院大や武蔵大,また獨協大を含める場合もある.理工系の大学院進学率は50%程度以上である.








コメント
コメントを投稿