大小はともかく,社会格差が生じるのは避けられない自然の摂理だという説明を昨日に読んだ.自分は社会格差をいつ頃から認識し,どう向き合おうとして来たか?あらためて振り返ってみた訳だ.その端緒は高校生の頃だったと思う.
のんびりした田舎の6年間一貫教育の私学で中高時代を過ごした自分は,高校入試も経験せずに気の向くままの青春時代を過ごしたように思う.頭脳明晰で東大理科三類へ現役で進学した同級生が居た.彼は”車輪の下”というヘッセの小説を読み,自分は車輪の上を生きると語っていた.車輪の下を超要約すると,神学校へ進学した主人公が落ちこぼれ,精神を病んで機械工になる話である.西洋に大学が出来た頃,専門学部は神学部と法学部と医学部しかなかったそうだ.それらの学部に進学する前に一般教養を養う教養学部を修了するのが高等教育課程の初期の姿である.社会の上層に位置する高度な知識が必要な職業は,神父や牧師と役人と医者ぐらいだったのだろう.車輪の下の主人公は,頭脳明晰でエリートコースを目指したのに,職人という平凡な職業に成り下がったという物語だ.その同級生はまさにエリートの医者を目指し,目的を果たした訳だ.そんな彼が予期せず早世したのはとても寂しい.
当時,自分も車輪の下を読んでみたが,続けて同じヘッセの”知と愛”という作品も読んでみる.念のため,自分は文学少年でも何でもない.実際のところ,中高時代に読んだ小説等は非常に少ない.そんな自分が2冊も立て続けに読んだのだから,よっぽど思うところがあったのではないかと今になって推察する.知と愛の原語題は”NARZISS UND GOLDMUND”というらしい.主役の友人2人の名前だが,あらためて辞書を引いてみると,うぬぼれ男と口八丁とでもいうのだろうか?直訳するとナルシストと金の唇となる.これまた神学校に進学した2人の友人の物語だ.ナルシストの方は頭脳明晰で勉学の道に精進し,やがて修道院の僧となる.金の唇の方は神学校を飛び出して放浪し,次々に女を口説きまくって美を追求し奔放に暮らす.しかし,2人は時おり合って会話を交わす.金の唇の話す愛の世界をナルシストは知の体系の言葉に置き換えて整理する.やがて金の唇はナルシストの修道院で立派な女神像を作り上げる.対比的な暮らしぶりながら同根の価値観を共に掘り下げていく様は,教科書嫌いな高校生だった自分に格好の逃げ道を用意してくれたように思った.思うがまま気ままに知識を拡げられたら...そんな生き様が理想だと思ってしまったのかもしれない.社会格差に向き合う覚悟もないまま,結局のところ,受験勉強は成否半ばの中途半端な成果に終わる.大学でも就職先が無いと言われた建築音響の研究室を興味任せに選ぶ.就職後も概して変わらないように思う.そして,金の唇が最終的には落ちぶれていったことが少し気になったりする.そうは言っても自分は全く口八丁でも何でもないのだけど...

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