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満州国の光と影

昨日の散歩途中で立ち寄った本屋で立読みするうちに,かつてのぞみ車中でよく読んだ歴史街道という月刊誌を手にする.今年は満州国の建国から90年だという.建国の日である昭和7(1932)年3月1日は亡父の誕生日の翌日だと思ったのだが,閏年だったので2日後である.1945年の日本の敗戦と共に解体されるまで僅か13年の国家だが,考えてみれば遠い歴史の彼方でもない.不思議な因縁にも思え,当時の現地で何が起きていたのか?知りたくなって買ってみる.記事の最初のページは見開きで,満州国の首都である新京のメインストリートの写真である.正面は新京駅の駅舎のようだ.

大日本帝国が清の皇帝だった溥儀を元首として建国した傀儡国家であることは,中高時代の世界史で学んだので当然知っている.しかし,記事を読むうちに知らなかったことが意外に多いものだと気づく.先ずは「満洲」という言葉である.「満州」は実は戦後に制定された当用漢字や常用漢字を当てたもので,正しくは「満洲」だという.信州や九州みたいな地名なんだと思っていたのだが,語源は地名ではないそうだ.印度起源の仏教の,日本でいう文殊菩薩を信仰する人々が文殊のことを「マンジュ」と称しており,それに漢字を当てたのが満洲である.満洲人が住むところなので満洲という地名に転じたという訳だ.はぁ~そうなんだと,のっけから驚く.彼らは英雄ヌルハチの時代に清朝を樹立し,やがて大挙して清朝の首都になった北京辺りに移住してしまったようだ.清朝は自分たちの故地に他族が立入らないようしていたのだが,経済発展と共に増加した漢人がやがて満洲に大量に移民して来たらしい.

あらためて当時の満州国の地図を見ると,大連は満州国に含まれていないことに気づく.満州といえば大連を連想するほどに満洲の主要都市だと信じていたが,よくよく考えると違うのである.日清戦争で1985年に清朝から大連辺りの遼東半島を割譲するも露仏独の三国干渉の結果返還し,その後ロシアが租借していたのを日露戦争で1905年に取り返したのである.この経緯は忘れていたが,以後この地は敗戦まで関東州と称する日本領だったのだ.関東州には1929年設立の東京工業大学より前の1922年に旅順工科大学が大学令に基づいて設置されていたのに対して,満洲国には建国後の1937年に建国大学が満洲国の最高学府として設立されている.関東とは万里の長城の東端にあたる山海関より東を意味するので,現在の東北地方,つまり満洲と同じ地域を指すようだ.山海関より西が関内,つまり元々の漢人の住む領域であり,万里の長城は関東から関内へ攻め入る異民族への防衛のために築かれた訳だ.しかし,実際には満洲の経済発展を担ったのは移民して来た大量の漢人だったようだ.北方の,ハルビンの街はロシアが建設したらしい.シベリア方面からウラジオストックへショートカットする鉄道が奉天方面へ分岐する拠点になっている.

さて,満洲国は「王道楽土」「五族協和」をスローガンに掲げていた.西洋列強が繰り広げる「覇道」に対して,東洋思想である王道を据えたそうだ.五族とは満州国に住む日本人,漢人,満洲人,朝鮮人,モンゴル人をいう.五族が協力和合して生きるという意味である.西洋人はヒドイけどこの国は違うというプロパガンダだが,実際には日本人が他を指導する体制であり,それほどやっていることは違わなかったのだろう.ちなみに中華民国は「五族共和」の理念を掲げ,ここでは漢・満洲・蒙古・ウイグル・チベットを意味するが,これとて漢人が上位に立つことに変わりなく同類である.ところで満州国の国旗は五色旗というそうだが,この五色は五族とは関係なく,中央と四方を色で表す五行思想に基づいているらしい.陰陽五行によれば,黄色は土を表すとのこと.赤は火,青は木,白は金,黒は水を表すようだ.13年間しか存在しなかった国だけど,国を象徴する満州国家は2つ作られており,いずれも山田耕作が作曲している.

満州事変を始めとする様々な軍事行動を本国の許可なく遂行していったのが関東軍である.これは租借地の関東州に由来するので関東州に本拠地があったのだろうと思ったのだが,司令部は当初の旅順から満州国建国後には首都の新京に移転したそうだ.実際には当初からロシア権益を引き継いだ満鉄やその付属地の守備も任務に含まれていたので,満洲全域に権益を有していたのである.ロシアから引き継いだ関東州の清朝からの租借期限は1923年迄だったのを,建国間もない中華民国に対して1915年に強引に認めさせた対華21か条の要求で1997年迄延長させ,更に満州国建国後は傀儡の満州国から租借していることにしたらしい.このような流れも権益の維持強化を目指す中で形成されていったのかもしれない.東条英機は元関東軍参謀長だったり,松岡洋介は国際連盟脱退後に満鉄総裁に就任していたり,中央政府の要人は満州と通じている.岸信介は満州国の官僚時代に練った統制経済の手法を戦後日本の復興で展開している.

満州といえば満鉄というほどに満州を代表する企業だと思っていたのだが,実際には日産財閥(日本産業株式会社)が大きな力を持っていたようである.現在の日産自動車はそこから派生したようだが,日立製作所もまた旧日産財閥の中核企業だったそうだ.

さて,満洲国は戦需物資の生産地として急速に産業化され,内地から渡航した日本人も多くいたことは知っていたが,実際にどれぐらいの人口だったのだろうか?Wikipediaの記載によれば,1908年時点での人口は1583万人だったのに対して,満洲国建国の1932年に2928.9万人(うち台湾・朝鮮を含む日本人は59万人),1942年には4424.2万人だったという.とても急速な増加である.また,1935年国勢調査による関東州の人口は113.4万人(うち朝鮮を含む日本人は16.8万人)である.終戦時の満洲・関東州には約150万人の日本人が住んでいたそうだ.1920年の国勢調査による内地の人口は5596.3万人,1935年は6925.4万人,1940年国勢調査では7193.3万人である.また,日韓併合後の1920年の朝鮮半島の人口は1726.4万人,1936年は2204.8万人(うち朝鮮人2137.4万人),1942年では2636.16万人(うち朝鮮人25252.5万人)という記録があるようだ.朝鮮半島と満洲・関東州の人口を合わせると,1920年頃には内地の人口を下回っていたのが1940年頃には上回っている.かなり短期間に人口が増え,当時の東アジアでは最も産業化が進んだ領域だった訳だ.

明治維新後の国際情勢としてロシア南下の脅威や米英等欧米の中国進出を鑑み,特にロシアの侵略を食い止めるために朝鮮半島や満洲を勢力下に置き,経済発展させようとした最前線が満洲国だったのだろう.そこでは内地で実現していなかった先進的な取り組みが様々になされ,理想を夢見る日本人が多数いたことが解った.実際にはその地の権益を米国が狙っていたらしい.そのせいか,その後の日米関係は急速に悪化していった.ロシア革命で政権を引き継いだソ連は満洲権益を放棄し,日ソ不可侵条約によって大戦中は平和だったという満州は,敗戦直前に対日宣戦布告したソ連軍の侵攻によって凄惨な蹂躙や逃避行の地となり,多くの日本人が虐殺されたり抑留されたりした.満州航空という先導的な民間産業を切り開いた企業では,地方奥地に赴任した社員の多くを失ったようだ.運よく内地へ引き上げることができた人々の中には,戦後の復興で活躍した人材も少なくないようだ.東北地方はその後中国政府が支配するところとなり,多数の残留孤児も故地の日本へ帰って?来た.しかし,その世代も殆どは他界して代替わりしているのが実情だろう.振り返ってみれば,元気な日本国の源泉だったような気もしてくる.尤もそのやり方は強引傲慢であり,現代の国際社会で通用するものでも無い.だけども世界に伍するマインドは,もう少し学んでも良いような気がする.話の流れとは関係ないが,酒精という単語がアルコールの訳語であることも記事を読むうちに初めて知った.

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