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道州制について

最近は道州制の議論が盛り上がらなくなった.個人的には40年余り前から道州制が良いのではないかと考えていた.首都圏一極集中を回避して活力ある地方文化を育てるには,やはりこれしかないだろうという訳だ.何かと全国一律だと,旅をするのもつまらない.モノカルチャーではなく,多様な特色あってこそ,強靭な国土ではないか?個性を磨いて発揮する発想にも通じるはずだ.暮らしや働き方が問われるコロナ禍のいま,あらためて考えてみても良いように思ったりする.大阪都構想なんぞよりよっぽど意味があると考えている.

総論はともかく,区分けについては既に様々案が出ている.どの案を見ても,関東甲信越以外はほぼ同じである.沖縄と九州を一緒にするか分けるかが唯一の論点ではないだろうか?関東甲信越については様々だが,ここは決定打がないように思う.個人的には素直に関東と信越に分けたらどうかと思っている.山梨県は首都圏に入るので関東でよかろう.道州の区分け腹案は図の通りである.◎は道州都予定地,○はその他の人口が概ね100万人以上の政令指定都市を示す.

関東平野を妙に分割する合理性がどこにあるのか?地理的にはそう思うのだが,関東の人口やGDPが突出しすぎるという配慮が働くのだろう.全国に対する人口比は約35%,GDPでは約39%という他に比べてかなり大きな勢力になってしまうからである.南北に分割して北は信越と一緒にする案もあるようだが,これはいかにも取って付けたようで不自然に思う.分割するなら首都の東京23区を東京都として独立させるぐらいが良いのではないか?仮に東京が関東州から独立したら関東の州都はさいたま新都心辺りだろうか?腹案による道州の人口とGDPの比較は表のとおりである.東京23区のGDP統計は公表されていないので不明だが,東京都のGDPからすると,おそらく全国比14~15%程度になると推察される.そうすると,東京23区以外の関東のGDPは全国比で25%程度になるはずだ.

道州の区割けは1994年に始まった衆議院議員選挙の比例区の区割りが基盤になっていると思われる.記憶によれば,あの頃は国会でも道州制の議論が始まった頃で,将来の道州制導入を見越した一面もあった.関東は南北と東京都に3分割されている.そして,北陸と信越が合体している.ここは北陸3県だけだと規模が小さすぎるという配慮もあるのだろう.

しかし,両者の間には糸魚川-静岡構造線があり,これを境に様々異なるところが少なくない.ひと言でいえば東日本と西日本の境目なのである.

NTTも概ねこの構造線を境に東日本と西日本に分社化されている.

JRも概ねそうだ.

きつねどん兵衛のスープの味付けも,太平洋側は関ケ原が東西の境目になっているものの,やはり北陸は西で信越は東である.ここはやはり分けるの方が自然だと思われる.

そして,役所の地方局では,総務省総合通信局の区域割りが腹案と全く同じである.

政府機関の地方区割りは実は様々である.道州への移管にあたって,この辺は整理が必要になる.

区割りはともかく,道州制の基本は内政の多くを地方の道州に任せて中央政府の規模を縮小することにある.省庁の地方局等は各道州に移管して都道府県庁と合体・再編される.地方の国税局も道州政府が運営して国には分担金を上納する訳だ.権力の根幹である徴税権も道州が握り,国から地方交付税を受け取る現状と逆に資金が流れる(ここまでは国が許さないだろうか?).また,都道府県議会は道州議会に集約される.国の役割は基本的には外交・安全保障・貿易産業等の国際競争力が重要な分野が主になる.教育も道州ごとに多少は独自性があってもよいだろう.国立大学は国際競争力を期待する旧7帝大と旧5官立大の12大学と2女子大と在京の芸大・外大・医科歯科大と大学院大学を残せばよい.あとは地方に貢献する人材を養成する州立大に移管して,小ぶりな県立大学等も統合すれば良かろう.文科省の方針にも概ね合致しているはずだ.ちなみに,高等裁判所も金沢と長野以外の州都予定地に設置されており,金沢には高裁支部もある.ひと工夫すれば道州政府・道州議会と併せて三権が揃う形にもなる.

こういう議論が下火になってしまったのには訳があるのだろう.その訳を聞いてみたい気もする.そして,道州制と一体だったはずの市町村の大合併だけが推進されたのは不思議なことだと思う.

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