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省庁の役職

 国の各省庁に居る大臣以外の副大臣や政務官って何?事務次官と何が違う?そんな疑問を家族から投げかけられると案外即答できなかったりするのであらためて調べてみた.

○内閣:内閣総理大臣その他国務大臣から構成される.各省主任の大臣,あるいは内閣官房長官・内閣府特命大臣等の大臣は国務大臣から命ぜられる

■大臣:省主任の大臣,内閣府の庁担当大臣,内閣を構成する国務大臣(閣僚)
■副大臣:各省庁の政策全般について大臣を助ける,大臣不在時に大臣の命令に基づき省令や許認可などに関する職務を代行できる
■大臣政務官:特定の政策について大臣を助ける

大臣は民間から起用される場合もあるが,副大臣と大臣政務官は慣例的に国会議員が任命される.これらを政務三役という.政務三役には専属でサポートする秘書官が複数名付く

■事務次官:省庁の職員である国家公務員の最高位で最高俸(指定職8号俸)に該当
■内閣官房副長官補:内閣官房の職員の最高位,指定職8号俸
■〇〇審議官:〇〇は省庁名等(警察庁では警視総監),事務次官に次ぐ指定職7号俸
■長官:省所轄の外庁のトップ,指定職6号俸
■官房長:大臣官房のライン長,指定職5号俸
■局長:局のライン長,本省は指定職5号俸又は4号俸,外庁は2号俸又は1号俸
■部長:局より小さい部局のライン長,指定職2号俸
■統括審議官:本省の大臣官房や局に所属して政策立案を統括する,指定職3号俸又は2号俸
■次長:外庁の長官に次ぐ,指定職3号俸

この辺迄が所謂偉い人たち,民間企業なら執行役員以上か?所轄の外庁は連結子会社みたいな感じかな?以下,参事官,課長,室長迄が幹部職員となるが,この辺が民間企業の部課長か?

2001年の省庁再編以前は政務三役じゃなくて政務次官が任命されていたが,国民の代表たる政治家の指揮と若手議員の人材補強を強化する方針で政務三役が任命されるようになった.これは英国の内閣制度を参考にしたのではないかと思う.英国の大臣はMinisterと称されるが,大きくは内閣を構成する首相及び閣内大臣とそれ以外の閣外大臣に分かれる.Wikipediaによる下記の分類によれば,Senior ministers が日本の閣僚でSecretary of Stateが国務大臣,Junior ministersのうちMinister of Stateが副大臣,Parliamentary Under-Secretary of StateやParliementary Secretary が大臣政務官に相当するように思われるが,違うかな?

○Prime Minister - 首相
○Senior ministers - 上級大臣(閣内大臣)
    ・Chancellor of the Exchequer - 財務大臣
    ・Lord Chancellor - 大法官
    ・Secretary of State - 国務大臣
      (Deputy Prime Minister - 副首相)
      (First Secretary of State - 筆頭国務大臣)
●Junior ministers - 下級大臣(広義の閣外大臣)
    ・Minister of State - 担当大臣(狭義の閣外大臣)
    ・Parliamentary Under-Secretary of State - 政務次官
 ・Parliamentary Secretary - 政務官
    ・Law Officers - 法務官(広義の閣外大臣)
    ・Whips - 院内幹事(広義の閣外大臣)

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