自宅療養の休日,ランチのあとひと休みして昼寝を断行すると3時間も経っていた.もう夕方である.晩飯前にNHKオンデマンドで「学徒出陣」に至る経過を振り返る番組を観た.その後気になったことを調べて整理してもたので記録しておく.
予備知識としてまず,戦前の学制を振り返っておく.明治19年の帝国大学令によって東京大学が帝国大学となった.法科,医科,文科,理科,工科,そして農科も加わった総合大学が誕生した.その後,明治30年に2番目の京都帝国大学を皮切りに,日露戦争後には大学令までに東北,九州の各帝国大学が設立されている.1918年の大学令及び第2次帝国大学令によって,単科大学や私立大学が設立されるようになって高等教育は量的拡大に移行する.北海道帝大設立(東北帝大と分離)のほか,早慶を始めとする私立大学が大学に昇格した.大正中期の民主主義と都市文化と並行的に発展した訳だが,このとき大学卒業年齢は1年短縮されたようだ.そして,日本領となった京城と台北にも帝国大学が設立されている.1931年の満州事変以降,本国政府の方針を無視した関東軍が暴走し始める.勝手な企てで戦線を拡大した関東軍幹部は本国政府の要職に就き始め,暴走の連鎖のような戦局拡大に応じて大阪,名古屋に理系の帝大を設立していったようだ.この頃の大学生は19歳で入学して21歳まで3年間(医科は22歳まで4年間)学ぶ訳だが,この間は20歳の徴兵を猶予されていた訳だ.
さて,番組を観て太平洋戦争の開戦直前の1941年に卒業年限が短縮されていたことを知った.臨時措置として最大1年の短縮の短縮が可能という勅令が出されたようだ.実際には最初は3か月だったが,翌年には6か月になり高等学校や大学予科も対象になった(その分大学入学は前倒しした)ようだ.そして1943年に文科系学生の徴兵猶予を撤廃し,前線の戦地へ10万人を送ったのが学徒出陣である.多くは特攻部隊に所属したらしい.そんなことをしたら文科系の大学生が居なくなってしまったのではないかと思うのだが,上述の高等学校・予科の卒業年限短縮を考えると,2年ぐらいは在学できたのだろうか?特に文科系学生が多い私立大学の経営がどうなったのか?今更余計な心配かもしれないが,この辺はググリ調査では良く解らないでいる.実際には文科系から徴兵猶予が残った理系学部への転科希望者や入学希望者が増加したという話もあるようだ.しかし,理系の学制も卒業年限の短縮によって生産現場へ送り出されたというので,学徒動員の対象にはなったようだ.
戦況の悪化で昭和19年に高等教育の期間が1年短縮されたのは以前から知っていたが,上記の流れを踏まえると,卒業年限の短縮措置を更に推し進めて常態化を意図したのだろうと推察する.高等学校と予科の修業年限が2年に短縮され,これに合せて専門学校の修業年限も短縮されたように見える.それで国力が強化される訳ではないが,非常時の瞬発力を期待するしかなかったのだろう.まもなく1945年の敗戦を経て,1949年の新学制では大学卒業年齢は大学令当時に,医科等は大学令より前に戻っている.総合大学であるはずだった旧帝大の全てに文科系学部が設置されたのも戦後のことである.あらためて,無謀な開戦がいかに(高等)教育を歪めたかを振り返った訳だ.
それで,冒頭のNHKの番組に戻るが,学徒出陣を取り上げたのは教育が中長期の国力向上の源泉だからと推察する.近年は日本の高等教育はボロボロに見える.それはともかく,視聴者はいかに受け止めるべきだろうか?国際情勢が緊迫するなか,実際に国土が侵略を受けて戦争が避けられない事態になった場合にどうすれば良いのか?そのときの心構えはどうか?いま問われているのはそういう視点だろう.この先を番組にするのは議論百出で困難だと想像するが,侵略戦争を自ら起こした大日本帝国の事情を振り返るだけでは片手落ちではないか?現実に侵略を受けている民主主義勢力のウクライナでは男子はみな戦場で戦うことを義務付けられ,侵略者の独裁国家ロシアの国民は徴兵の対象になっていないようだ.ロシア政府は兵力不足を囚人や外国人で補うちもりらしい.侵略に大義がないと言っているようなものだが,図らずも民主主義=平和というのは勝手な思い込みであることが解る.平和って何なのか?生命と財産が守られること?さらには精神の独立が保たれることだろうか?戦争などしたくないのは当然だけど,侵略を受入れることが平和でもないだろう.そんなことを考えながら,間もなく今年も8月15日を迎える.


コメント
コメントを投稿