建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加するという記事に行き当たる.小職の専門分野の先輩である橋本氏(元八戸工大)の執筆である.静かな環境に居ると些細な音が気になってしまうという訳で,騒音問題の解決に取り組んできた経験からすると,まさにその通りである.
記事によれば,日本に騒音という言葉が登場したのは関東大震災の復興工事だという.伝統的な日本家屋は襖や障子一枚隔てて違った生活を営む社会だったので,音は聞こえて当たり前,うるさいとは思わなかったようだ.遮音性を求めるようになったのは,組積造の厚い壁を隔てて暮らした西洋化に一因があるという.特に1997年を境に日本社会では近所づきあいのない人の比率が増え,これに呼応するように近隣騒音の苦情が増加したそうだ.ちなみに共同住宅の物理的な遮音性能は,1980年頃以降2010年頃に至るまで平均的には一貫して向上したと,それを推進した巷の技術者として確信している.記事によれば,1997年の流行語はムカツクにキレルだそうで,これ以降に増加したのは騒音ではなく煩音であるという.物理的な環境ではなく人間関係に起因する心の問題であると区別しているようだ.こういう社会でどの性能水準の共同住宅を売り出すべきか?そこはなかなか悩ましい問題だと考える.一例として,窓があれば窓外を電車が通る音が多少聞こえても苦情にはならないが,姿が見えない地下鉄の音が聞こえると物理的には小さな音であっても苦情になる傾向がある.こういった問題も心の問題のうちとなるが,対処にはコスト多大な対策が必要である.
ところで,関東大震災以前の日本社会が日常的に様々な音を受入れて暮らしていた様子が夏目漱石の変な音という短編に記されている.現代ではこういう場合は騒音の苦情になることが多いだろう.原因が判らない不思議音という騒音問題に該当する可能性が高い.原因が判らないと殊更に気になったり,過大な想像で不安になったりする傾向がある.見えない地下鉄の音の問題も,視覚と聴覚で捉える環境の齟齬が生む違和感なのかもしれない.ともかく,漱石の「変な音」は,自分が気になっていた変な音の原因が解明されると同時に,自身が無意識に別の変な音を発していたという気づきを並立して締めくくられている.まさに隣同士はお互い様の社会構造を映した作品であると受け止めている.没交渉で都合の良い世界に閉じこもりがちな現代の都市生活は,心地ようようで不合理でもある.ネット社会でも構わないが,心を開いた会話ができる世界は必要だと,昨今の社会情勢を観て考えたりする.

コメント
コメントを投稿