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文庫本:文学部の逆襲

経済成長に寄与しない人文系の学部は縮小・統合して理系を強化せよという安倍政権の政策にはかなりの違和感を持っていたが,その違和感を論理的に解説してくれた書籍があったので読んでみた.著者は東大経済学部を卒業した経営戦略コンサルである.今こそ人文知が求められている時代だとの主張だが,読んでみると心中のモヤモヤが氷解した.全く同感である.

まずは自由と平等という互いに相容れない理念を共存さえながら発展して来た資本主義経済の歴史からひも解く.自由競争に任せれば必ず弱肉強食となって平等にならず,平等を希求すれば努力や発展は無くなる.自由に寄りつつ地力で比較的混乱を避けて経済発展したのが英国,バランスを取り切れず革命という体制転換を伴ったのがフランスである.方や自由競争のプレーヤーが居なかったロシアでは平等に寄った社会主義経済を模索したが,やはり経済発展で後れを取って1990年頃に社会主義(共産)圏は崩壊した.その後,大資本が政府を買収してしまった西側のG7を中心に新自由主義がはびこって,まさに弱肉強食が進展し顕著な格差社会に向かっている.その結果,どの国も国内市場は成長せず経済成長は極めて鈍化してしまった.資本主義と共産党独裁の共存というアクロバットを繰り広げる中国も,体制崩壊防止のため共同富裕というブレーキをかけねばならないようだ.ここは仰る通りである.

そもそも人は生産者と消費者の2つの立場を持っているという.確かにその通り.貧しい時代には生存のために全力を挙げて生産活動に邁進せねばならない.農業という安定した生産手段を得た時代でも,農民や農奴は馬車馬のごとく働いてその暮らしをほぼ生産活動に尽くさねばならなかった.消費者となったのは貴族や武家などの支配階級である.それが産業革命という飛躍的な生産性向上によって,人類の多くは肉体労働から解放又はその度合いが軽減され,生産者であり消費者でもある大衆が主体の社会となった.しかし,格差社会は総じて,消費者のボリュームゾーンである大衆の立場を弱め,社会の発展を妨げている状態になっているという訳だ.なるほど,商品が売れなければ経済は廻らないのは道理である.

ここでいま,AIという技術が登場し,急速に発展しようとしている.産業革命が人間の肉体労働に代る生産システムをもたらしたのに対して,AIは人間の知的労働に代る生産システムをもたらすという.この辺は,ことAI技術の現在地からすれば議論が分かれるかもしれないが,時代の方向性としては理解できる.AIが発展・普及すれば,人類は多くの知的労働からも解放される.何もせずとも生活に必要な財を手にすることができるようになっていく訳だ.その時に人間は何をすれば良いのかと問う.次の時代がどうあれば良いのか?そんな「大きな物語」を描く力はまさに人文学にしかないというのが著者の中心的な主張である.

人類が動物と異なるのは遊ぶことだと著者はいう.ライオンは狩りのとき以外は寝そべっている.それは,狩り以外の活動で余計なエネルギーを使えば,その分余計に狩りをせねばならないからだという.腹が減らないのはじっと寝そべっていること,つまり生存に対するエネルギー効率を最大化しているのである.これに対して,人間は余力があれば歌ったり踊ったり絵を描いたりおしゃべりしたり,そういった活動を通じて他者と交流する.文化を嗜んで遊ぶ訳だ.そこに美意識や世界観を見出して生きる価値や目標になったりする.これが人類と他の動物を分けるところだという.こういった活動を支えるのは,人文学を中心とする教養学であることは論を待たない.

次の世界を切り開いて発展させていくのに不可欠な人文学を軽視して切り捨てるのは,まさに人類を新自由主義経済体制の下で労働者の地位に縛り付ける策略に他ならない.国民は遊んでないで黙って働けと言っているようなものだ.そもそも理系に比べると多額の研究予算も無い人文学の予算を削っても経済的な効果はないだろう.欧州に大学が出現した頃から,目的がある専門学科を学ぶ以前に教養学を学ぶのが必須となっている.それは高度な知識に対処し新しい知見を切り開くのに高い教養が必要であるからに他ならない.今こそ国民の教養を底上げし,同時に人文学の発展を期する施策が必要だという,明快なメッセージである.

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