3連休で1冊読破する.我が子の名前がやや難読になったことを振り返りつつ,世にいうキラキラネームと同類なのか少し気になりつつ読み始める.
そもそも名は古くよりかなり自由に用いられて来たようだ.難読になってしまうのは,漢字という表意文字にヤマトことばを当てて読むことに起因するようだ.兼好法師や本居宣長も,それぞれ,同時代の難読名に苦言を書き残しているらしい.源頼朝の「朝(とも)」など読めないと言われると確かにそのとおり,教科書などで見慣れているから読めるのである.明治維新で戸籍を作るために平民も苗字を名乗らねばならなくなり,右往左往で難読苗字が氾濫することになった.これは明治31年にみだりな苗字の新設が禁止されて一段落したが,名の方は制限がない状態が続いたようだ.読み方に制限が無いのは現在でも同じだが,これは昔からの伝統のようだ.
敗戦後に煩雑な漢字は良くないとされ,簡略化政策がとられた.その結果,漢字の持つ意味や成立ちを無視して平易化された当用漢字や常用漢字が定められた.これによって,概ね5万ほどある漢字は,厳選された2000字程度を使うことが推奨されるようになった.当用漢字は煩雑な文字や部首を簡易なもので代用したり,読み方を限定したり,由緒ある漢字を改変して表外用法を禁じたのである.これはやり過ぎとの反発を招き,人名漢字が100字ほど追加されたり,表外用法を必ずしも禁じない常用漢字へと変遷して現在に至る.著者はこの戦後の簡略化政策が漢字を表意文字から記号のようなものに変質させてしまい,昨今隆盛を極めるキラキラネーム現象を生み出したと考察している.この現象が指摘されるようになった1990年代は第2次ベビーブーマーが子育て世代になった頃である.親世代から戦後の漢字教育を受けたので,世代間伝承等も含めて本来の漢字を知る由がなかったという訳だ.これは炭鉱のカナリアだと,国語文化の行く末を案じている.
さて,読み終えて我が子の命名をあらためて振り返ると,いずれも「よみ」つまり「ことば」を先に決め,それに込める想いに沿った意味の漢字を当てたので,まさにヤマトことばに漢字という表意文字を当てた日本語の軌跡と同じだった訳だ.難読になってしまったのは仕方がないと納得する.そして,娘と倅の名に用いた4文字のうち,3文字は常用漢字表に載る読み方だが,「日」を「はる」と読むのは表外で漢字辞典にもない当て字用法である.人名には名乗り訓という市民権を得た当て字用法があるようだが,それに該当するのか否かは不明である.小生が知る用例としては力士の「日馬富士」があるのみだ.ところで,漢字の意味を汲んで選んだところは,表意文字としての漢字の用法に則ったものといえよう.良し悪しはともかく,万葉仮名方式ではなかった訳だ.やや難読なのは他例のない湯桶読みだからだろう.我が子の命名が良かったのか否か,その評価は娘や倅の孫たちの命名に現れるのかもしれないが,著者の案じるようなところへ落ち着く可能性もまたある.

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