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文庫本:ウォーキングの科学

信州大でスポーツ医学講座の教授を務めておられた能勢博氏が執筆されたウォーキングの科学という文庫本を読む.10歳若返る本当に効果的な歩き方が解説されている.

先ずは運動時のエネルギー供給が3通りあるという話である.概して,筋肉に溜まっているエネルギー源を使うクレアチンリン酸系,ブドウ糖を乳酸に変える解糖系(酸素無し),糖質と脂質を有酸素で分解する好気的代謝系の3つがあり,それぞれ運動開始から10秒程度まで,1分程度まで,それ以降に使われる(図1-2).解糖系では乳酸と伴に水素イオンが発生して筋肉痛と息切れを引き起こす.ブドウ糖や脂肪酸を燃焼させてエネルギーを得るのは細胞内にあるミトコンドリアの働きである.ウォーキング時も歩き方によって代謝系が異なって来る.

さて,年齢が増すと体力が落ちる.身体の活動には酸素を使う訳だが,活動量の上限を最大酸素消費量で測ることができ,これは年齢とともに低下する(図1-4).それは筋力の低下に伴うようだ(図1-5).筋力が弱いと消費するエネルギーも少なくなる訳だ.その原因は細胞レベルで生じる炎症反応だという.炎症反応が脂肪細胞に起れば糖尿病,免疫細胞に起って血管内皮細胞に影響すれば動脈硬化,脳細胞に起れば認知症やうつ病などの生活習慣病が生じ,その影響ががん抑制遺伝子に及ぶと癌になるそうだ.炎症反応は加齢によるミトコンドリアの機能劣化から生じるらしい.つまり生活習慣病を防止するには体力の低下を食い止めねばならない.

体力を加齢に逆らって維持・向上させるには,ただ運動するだけではなく,一定程度以上の強度の運動が必要になるようだ.その目安は最大酸素消費量の70%以上の酸素消費量となる強度だという.その程度は人や年齢によっても様々なので本来は計測する必要がある.しかし,それは結構たいへんな作業のようだ.簡易な指標となるのが表1-2のボルグ指数(主観的運動強度)である.指数が13~14となる「ややきつい」と感じる運動を目標強度とすれば目安になるそうだ.

だいたい60歳も超えて高齢になって来ると,体力が低下するので,歩くだけでも上述の強度に達しうるという.ともかく,その強度の運動を週に60分以上継続すると,実際に生活習慣病の防止効果が現れるという研究結果が示されている(4・5枚目の画像).ここでは著者が推奨するインターバル速歩を継続的に実施した効果が示されている.インターバル速歩とは,やや大股で踵から着地する歩き方で早歩きする運動で,3分程度速歩しては3分程度ゆっくり歩く運動である.これを繰り返して速歩の時間をカウントする.3分の速歩は大部分の人がこの時間を超えると継続困難と感じるからだという.これを5か月継続したら,週の速歩の合計時間が増すと最大酸素消費量は増加し,生活習慣病指標は減少している.しかし,60分以上はその効果は頭打ちとなる.この効果は速歩でないと現れず,普通に長時間歩いても体力は向上せず生活習慣病指標も低下しない.

以上が書籍の述べるエッセンスである.ただ漫然と長距離あるくのは,その場のエネルギー消費には寄与するものの,体力の向上,ひいては生活習慣病の予防には結びつかない.そんな問題意識で,いざ速歩を実践してみようとすると,問題は,最大酸素消費量の70%以上の運動強度がこうだという体感的な確信である.「ややきつい」がどの程度なのか?試行錯誤しているのだが,良く判らない.

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