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都道府県の人口の推移と将来推計

未来の地図帳という文庫本をパラパラっとめくってみたら,近い将来に47都道府県のうち人口減少が多すぎてやっていけないところが出てくるという.国立社会保障・人口問題研究所で2030年から2045年の人口推計を公表している.それを過去の人口の推移と併せて表にしてみる.1925年が大正14年で第2回の国勢調査結果を示している.以後15年ごとの推移を抜出してみた.都道府県と共に,全国の主要10都市の人口も抜出してみた.但し,都市人口は市域の拡張という別の側面による増加もあるので,解釈に注意が必要である.

この表でいうと,全国の人口は2015年頃をピークに人口は減少に向かっている.この先の推計は,これまでの傾向が続いた場合の推計である.もちろん何らかの大きな変化が生じれば推計との乖離は増えるだろう.そうは言っても,全国の人口は2030年に1985年頃,2045年に1970年頃と同程度に減少していくと予測されている.概ね東京以外は全般的に人口は減り,特に大都市から離れた地方では全国平均に比べて大きく人口が減っていく訳だ.確かに1925年よりも人口が減ってしまうところもあるようだ.3大都市圏でも関西圏は特に大きな減少が予測されている.東京一極集中が更に進むという訳だ.更には,地方圏ではこの数値以上に老齢化が進むことが予想され,1925年どころじゃない深刻な状況が懸念されるのである.

こういう数字は大幅な移民政策の転換でもない限り覆らないのが常識である.しかし,国土構造の変質を期待できる要因も無い訳では無い.そのひとつがエネルギーの再エネ化である.仮に主たるエネルギー源が化石燃料から洋上風力などに大幅に移ったら,太平洋ベルトの燃料輸入港を拠点に展開している産業が,北海道や東北の日本海側そして西九州などの風力発電の適地に移動するのではないか?そんなことを期待する見方もある.北海道,秋田,長崎などにとっては朗報である.しかし,そんなチャンスを活かせるのか否か,それは今後の取組み次第である.

目下,より少ない人員でより多く生産する仕組みはどうか?など多くの人達が考えていることである.また,東京一極集中が,今後の人口減少社会において日本を救うという見方もあるようだ.遷都論も道州制の議論も,何故か吹っ飛んだっきりなのだが,もう少し真面目に議論する方が良いのではないかなどと,素人ながらに思ったりする.

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