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まるわかり近現代史

世界史の大学入試問題に回答すべき近現代の出来事を系統だてて解説してくれる一冊を読む.「世界史が大きなうねりをみせた1850年頃から70年代までの間に,日本を含む諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ,また対抗したのかについて,540字以内で論述せよ.その際に以下の9つの語句を必ず一度は使い,その語句に傍線を付せ.インド大反乱,クリミア戦争,江華島事件,総理衛門,第1回万国博覧会,日米修好通商条約,ビスマルク,ミドハト憲法,綿花プランテーション」(東京大2008).

個々の事項は元より,当時の世界の潮流を描けないと回答できない.先ずはお手上げである.この流れを解説するのに42~88の47ページ費やしている.それを540字以内で解答せねばならない.「パクス・ブリタニカについて述べよ」のような単純な設問に比べると,かなり難易度が高い.このような問題が6問あり,それぞれ解説のあとに解答例が示されている.

大航海時代の大西洋奴隷貿易が環大西洋諸国の歴史に及ぼした影響(大阪大2012),
中露の領土を定めた2つの条約が結ばれた経緯と内容(東京大2008),
パレスチナをめぐる第一次大戦から1960年代までの政治情勢及び中東戦争について(東京外大2008),
ベトナム戦争の戦費拡大による米国の経済政策の変更とその国際的影響について(東京大2014),
紀元1000年以降に対外貿易で繁栄した都市名2つと共通する繁栄の諸要因について(大阪大2005),

いずれも回答するには現代にその影響が及ぶ世界史の大きな流れを理解する必要がある問題である.東大に合格する人たちは解答できるんだろうか?今更そんなことを心配しても仕方がないのだが,脳裏に残る知識と半ば忘却の彼方から引き戻された事項が紐で括りつけられた感があった.悲しいのは,読み終えて暫くすると脳ミソがまた元の状態に戻ってしまうことである.3回ぐらい読めば少しは読む効果があるだろうか?

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