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マインドが変らねば社会は変わらない

先日のこと,環境省の出向者向けに,環境保健部長さんからお話を頂く機会を得る.本籍は厚生労働省のお医者さん(医学部卒業)である.印象に残ったお話だったので,記録しておく.

お話は終末期医療や高齢者医療・福祉のことから始まる.治療や介護を無為に続けることが,当事者の健康や自立した生活を実は阻んでしまう場合があるという話である.医者や介護福祉関係者のマインドに触れ,続く本論に入る.

■脳死臓器移植:日本では臓器移植希望者は年々増加傾向にある.1997年に脳死下の臓器移植が可能になり,2010年には本人の拒否がない場合は本人の意思が不明であっても家族の承諾により臓器提供が可能になった.

これによって,脳死下の臓器移植件数は増加するが臓器提供者の数は増えていない.日本は臓器提供者が非常に少ないらしい.臓器提供者が多いのは欧米のキリスト教国のようだが,これは宗教観の違いだという.キリスト教は心身二元論であり死体は単なる物という考え方なのに対して,仏教では心身は分かちがたいという考え方,神道では心も身体も神から授かった大切なものであるという.制度を作ってもマインドが変らねば社会は変わらないというお話である.

■児童虐待防止・体罰防止:自分らが小学生の頃は悪いことをしたら先生からげんこつを食らったり棒でけつを叩かれたりしたものだ.幸い実家の家庭内や中学生以降はそんなことは無かったと記憶している.学校教育法では懲戒は許されているが体罰は禁止されいるのに対して,民法では子供の教育のための懲戒は許されており,体罰の禁止は謳われていなかったそうだ.つまり親の体罰は許されると見えてしまう訳だ.体罰の影響に関する研究結果によれば,子供への良い影響は悪いものばかりで良い影響は全くない.体罰や暴言は子どもの脳の発達に深刻なダメージを与える.親子関係の悪化,精神的な問題の発生,反社会的な行動の増加,攻撃性の増加,など望ましくない影響ばかりで良い影響はない.そんな訳で令和5年に民法が改正され,親の懲戒権は削除,体罰は禁じられた.体罰は「愛の鞭」というマインドを変える必要性を語っておられる.

■働き方改革:社会人になった頃,「リゲイン」という滋養強壮ドリンクのCMソングが一世を風靡した.「二十四時間戦えますか」というやつだ.北海道の建築現場へ出張したとき,終業後のカラオケスナックでこの替え歌を社歌と称し,「♪タケナ~カの現場マン」などと熱唱した先輩社員がいた.それはともかく昭和の頃は長時間労働は美徳だった訳だ.終業は終電の頃,休日出勤も厭わず,平成の半ばぐらいまではその美徳意識は続いたように思う.

しかし,長時間労働と労働生産性の間には有意な負の相関があるという.労働時間が長いと労働生産性が低い.長時間労働で疲弊し,家庭生活にしわ寄せが生じると生産性が上がるべくもない.その関係を変えようとしたのが安倍内閣の「ニッポン一億総活躍プラン」である.平成も後期になって,仕事熱心な若い部下の休日出勤願を不要不急と説得して取り下げさせることが続いた頃がある.我が過去を忘れ社会の先陣へ導く都合の良い立場を思い出しつつ,未だ続く働き方改革を想う.

お話は喫緊の環境政策であるプラネタリーヘルスの話題に及んだ.地球のためにライフスタイルを変える.そんな崇高なお題目で行動変容できる人は限られている.そんなことが脳裏をよぎりながら,『政策目標を達成するには,制度を変えるのも大変だけど,それだけじゃダメで国民のマインドを変えないといけない.そして,それはもっとたいへんだ』と締め括って,約1時間のお話は終わる.

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