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文庫本:磯田道史と日本史を語ろう

学術の発展によって,かつての常識が裏付けられたり覆ったりする.思いがけない真実が判明したりすることもある.そんな事例に当てはまるのが,古文書の無い時代の人類史に関する知見である.全国7地域の3,256人の全ゲノムシーケンスを解読して主成分分析すると,日本人は遺伝的に3つのグループに分類されるという.K1(沖縄),K2(東北),K3(関西)の3つである.この研究とは別に,沖縄とアイヌ人は遺伝的に近しい関係であるとも言われている.そんなゲノム解析から,日本人がどのように形成されて来たかが見えて来たというのが歴史/考古学のひとつの成果のようだ.磯田道史と篠田謙一/斉藤成也との対談「日本人の不思議な起源」の要旨をメモ書きしておく.

縄文時代の人口よりも,弥生時代の人口は数倍多いのだが,縄文時代からの土着系と見られるK2グループは東北や関東などでかなり多いようだ.一方で,弥生~奈良時代頃の渡来系と見られるK3グループは九州や関西で多く,東に行くほど減少する.例外は図示されていない中国四国で,出雲を中心とする山陰地方ではK2グループが多い.これは国譲り神話と関連して,日本海ルートで山陰から東北に至る文化圏の存在や,近畿を中心とした同心円の文化構造を想起させる.九州も,北九州と南九州で様子が違うと想像する.歴史学者の磯田道史氏と分子人類学や遺伝学の研究者の対談を読むと,近年のゲノム研究の急速な展開によって,古代の日本国家の成立過程が見えて来る気がする.

どうやら,日本人はだれからも征服されずに,多様な遺伝子が混在しながら現代まで保存されて来たようだ.母系からのみ引継がれるミトコンドリア遺伝子を解析すると,世界の現世人類の起源はアフリカ起源であることが分るらしい.日本へは,カムチャッカ~千島,シベリア~樺太,朝鮮半島経由,東南アジア~南西諸島経由の4つのルートから到達し,混血して縄文人が形成されたという.そこへ,大陸で争いに負けた人々がじわじわっと長期間かけて渡来し,縄文文化と融合しながら弥生文化へ移行していったと推察される.父系で引継がれるY遺伝子の多様性がそのことを示しているそうだ.日本人のY遺伝子は世界でも最も多様性があることが,その証拠だという.世界では,民族が征服されると男子は皆殺しにされ,特定グループY遺伝子のみ残る例が多いらしい.

科学に裏打ちされた歴史観は真実をあぶりだす.文献には嘘やでっち上げを残すことができるが,それは科学的手法で排除される.もちろん,文献は重要な史料だが,権力欲に駆られた人間の浅知恵で改ざんや創作されることも少なくない.史料を読み解くには,そのような改ざんや創作を見抜く力が要るとも聞く.しかし,残された過去の物証から,ゲノムの解読によって徐々に解明されつつある古代の謎解きは,想像に貴重な確信を与えてくれる.いやいや,これはとても興味深いと思う.

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