かつて万年野党と言われた日本社会党という国政政党があった.自民党と共に55年体制といわれる2:1の国会議員比率が続いた時代の一翼を担った訳だが,今も社民党と名を変えた小政党として存在している.もっとも,かつての議員の多くは1996年結党の旧・民主党結党に参画するなどして,その流れをくむ議員グループが,民主党や民進党を経て,今も立憲民主党の派閥として存在している.日本社会党とはどんな政党だったのか?最近は次第に記憶が薄れてきたのだが,この際復習のためメモ書きしておく.
日本社会党は1945年に戦前の無産政党や労働運動関係者,社会運動家らが結集して結党された.結集とはいえ,様々な考え方が同居しており,天皇を中心とした社会主義の実現を目指すところから天皇制打倒を目指すところまで幅が広い.大きくは右派・中間派と左派に分れて派閥対立に明け暮れた.右派が議会制民主主義を前提とした西欧型社会民主主義を目指す一方で,左派はプロレタリア独裁を否定しない社会主義革命の実現を目指した.これは西欧には無い考え方なので日本型と云われるようだ.やがて,右派の一部が1960年に離党して民社党を結党するなどして,次第に左派色が色濃い政党になっていった.左派の中核的組織となった社会主義協会は,マルクス・レーニン主義を基本理念とする.1960年代に党の綱領的文書として採択された「日本における社会主義への道」を要約すると,資本主義体制は社会主義体制に道を譲らざるを得ない,日本は社会主義革命の前夜にある,革命の初期ではある種の階級支配を行わねばならずプロレタリア独裁の本質と相違ない,社会主義革命は議会で多数を獲得し権力を握る,過渡期では他会派との連立政権もありうる,非武装中立の外交路線を取り日米安保条約を解消して自衛隊は非軍事組織に改組する,などと書かれている.このいわゆる「道」は,1986年に「日本社会党の新宣言」に取って代られ,ようやく階級政党から西欧型社会民主主義の国民政党になったという.それまでは,反対するときには対案を作るという議論すら無かったらしい.この間,社会主義の理想を追う活動家目線の論争に明け暮れて国民の今日明日の課題に向き合わなかったことで,自民党の敵失でしか議席増を得られない体質から脱する機会を失ったように思われる.
イデオロギー主導の組織は,内ゲバの論争と排他的な考え方を助長し,結果的に体力を消耗するしかないのだろう.そう思えば,政権構想を温めて国民に訴え,議会の多数派を目指す自民党の派閥活動が,むしろ健全なものに見えたりする.お金の運用規律は大切だけど,それが全てでもなく完璧にはいかないものだ.右であれ左であれ,人の活動には資金が要るものだ.米国の大統領選挙などは桁違いの選挙資金が要るようだ.ところで,民主党政権が瓦解してバラバラになったとき,2020年に立憲民主党を設立した枝野代表の弁が今でも気になっている.記憶によれば,寄り合い所帯だった民主党や民進党には党をまとめるイデオロギーのようなものが無かったので,立憲民主党ではそのようなものを大切にしたいということであった.その方針が,その後にどうなったのか?合流したり袂を分けて離党していった閣僚経験者があったり,党勢拡大がいまひとつ振るわなかったりする現状に影響しているのか?よく分からないのだが,気になるところである.政権交代可能な二大政党制の確立を目指して1994年行われた選挙制度改革によって,日本社会党は事実上消滅した.しかし,30年経っても政権交代可能な二大政党制の確立は実現しない.日本社会党の時代と何が変わったのだろうか?そろそろ失敗だったと総括して次なる検討が必要ではないかという気もする.

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