近頃は大学進学に際して理工系への志望が増えているようだ.ものづくりの産業を強化して国力を増大させるには,技術者が必要である.特に世界に通用する先端的な商品を企画・生産するには高度な科学技術を修めた技術者を養成せねばならない.
明治以降に殖産興業政策を推進した日本政府は旧制の理工系大学や専門学校を順次設立した.その推移を追ってみると,専門学校令や大学令によって,それぞれ専門学校や大学が倍増している.大学令までの設立年代を第1期としておく.この年代には,日露戦争を通じて財政や経済などの国力増大が不可欠だったと推察される.大学令後も新設は継続し,1930年頃までに一段落する.この年代を第2期とする.
そして,太平洋戦争開戦後に新設は急増し,特に専門学校の数は倍増以上の勢いで増加した.これを第4期とする.第4期は官立が減少し,大半が公立や私立による新設になっている.国の財政は戦費調達にフル出動となって,後方の体制づくりは地方や民間の財力に頼らざるを得なかったと推察する.1944年に高等科・大学予科の短縮と専門学校令の改正がり,その後は大半が私立学校や民間企業が母体と思われる新設が大半となる.官立では経済専門学校を工業専門学校に転換する方法としている.武器や戦略物資の増産需要に応えるため,あらゆる手段を講じたのだろう.
民間企業が母体になったと思われる10校程度は終戦で殆どが廃止されている.しかし,第1期から戦時体制下の第4期までを通じて設立された理工系専門学校は,廃止になったものを除いて殆どが新制大学の理工系学部になっている.教育史の知識がない素人考えに過ぎないが,この技術者供給体制が,戦後の高度成長を実現する土台になったはずだと考える.特に第4期から新学制への移行には,相当な率の資源が理工系高等教育に注ぎ込まれたと想像する.
1905 日露戦争勝利
1918 大学令 大学: 3,専門学校:12
1931 満州事変 大学: 8,専門学校:20
1937 日華事変 大学: 8,専門学校:20
1941 太平洋戦争 大学:10,専門学校:29
1945 終戦 大学:13,専門学校:68
その後の高度成長期には,理工系の学部・学科の増設や定員の拡充も進んだ.大学入試の共通1次試験が導入された1979年頃から2000年頃にかけて大学院修士課程への進学者数が4倍程度に増加している.その後は頭打ちとなっているが,18歳人口が1990年頃をピークに近年は半減しようとしており,大学院進学率は上昇傾向にあるようだ.
一方で,博士(後期)課程への進学者数は,やはり2000年頃までは増加したものの,その後は減少に転じている.社会人学生の増加で補っているものの,修士課程(又は博士前期課程)から続けての進学率は大幅に減少している.博士号取得者数は先進国中最も低い水準にある.
国立大学は20年ほど前に法人化し,国からの運営交付金は増えるどころか減少している.ものづくり研究成果は,一般的には資源の投入量に依存する傾向が強い.論文数や,特に注目度の高い論文数では顕著に順位を下げている.そんな訳で,どう考えても明るい未来は想像できないのが率直な印象である.もちろん頑張っている研究開発事業もあるのだが,産業化の過程で国際競争に負ける場合が多いようだ.
どうすれば,科学技術の研究開発投資を抜本的に増やすことができるのだろうか?そんなことに優先順位を置いている政治家は居るのだろうか?あまり聞いたこともない.戦前の理工系高等教育への投資増強を振返って,あらためてその情熱に気づいた訳である.



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