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国家公務員の再就職

日経電子版にこんな広告が現れる.国家公務員の転職を規制する行政規則があるようだ.現職又は元国家公務員が,国家公務員の転職に関わるのは行政規則で禁止されているようだ.国家公務員たるもの,現職元職に関わらず,他の国家公務員の転職に関わってはならぬということらしい.なぜ?こんな広告を出さねばならないのか?霞が関で勤務していた頃に,新卒で入省した国家公務員の半数は途中退職すると聞いた.中には政治家になるケースもあるだろう.しかし,それよりも民間企業に転職するケースが多いようだ.そういう実例が身近にもあった.

本省勤務の国家公務員の給与モデルを観てみると,年収は,本省勤務で順調に昇進すれば,40歳前後で800~850万円程度,45歳前後で1,000万円程度だろうか?一方で,上場企業の平均給与(平均年齢は41歳前後と推察)は650万円程度だが,上場企業とは言っても様々なんだろうか?国家公務員の給与は,順調に昇進さえすれば,それよりは多いようだ.



一方で,大手総合商社の年収を観てみると,1,500万円を超えて2,000万円に迫りつつある.ここ数年は,かなり上昇傾向のようだ.総合商社の平均年齢は42歳前後のようだ.いわゆるシンクタンクの年収も,40歳前後だと1,300~1,500万円程度のようだ.大手商社に近い金額である.国家公務員の年収と比較すれば,ざっくり倍半分の差がある訳だ.


年収以外にも転職の動機はある.公務員は2年程度で様々な部署へ異動するので,特定分野の事情や専門知識がなかなか身に着かない.結局のところ,政策づくりもシンクタンク任せになりがちである.シンクタンクへの多額の委託業務予算を前に,技官の方々は何をしているのか?などと財務官僚が詰問する場面も役所にはあるようだが,専門知識なんて10年単位で専念しないと身に着かないものだ.特に技官にとっては,特定分野の専門性を磨きたいと思う向きもあるので,それならば,高給のシンクタンクで専門家になって役所にへ政策提言する立場に廻る選択肢も魅力的だろう.尤も,実力がないとそういう選択もできないので,優れた人材ほど転職していくことになる.対人スキルや人脈に優れた文官にとっては,総合商社も魅力的だろう.もちろん,民間企業にとっても,平均的には学歴が高く人格も優れた国家公務員は,課題処理の基礎的能力が高い(高速なCPUと大容量のメモリを持つ)上に,民間では得られない知見(学習データ)を持つ,魅力的な人材の宝庫である.役所に影響力を持つ幹部にもなると,民間企業の社外取締役に迎えたりする.

元々動機があるところへ,倍半分の年収の差があれば,国家公務員が転職になびくのも仕方がない.一方で,役所も必要な人材を育てても次々に居なくなってしまっては困る.だからと言って,転職が防げるほど年収を上げると納税者が抗議する.率直なところ,多額のシンクタンクの委託業務費のことを思えば,職員の給与を上げる方が合理的ではないか?と思ったりもする.しかし,なかなかそんな理屈も通らず,仕方がないので規則を作って,少しでも人材流出を防ごうということになる.政府が掲げるこの広告に,国の役所がこんなことで良いのだろうか?と案じる念を禁じ得ない.そう思えば,米国のように,政権交代の度に役所の幹部を民間企業から大量導入する仕組みも必要なのかもしれないが,それが一般化すると,益々転職を助長してしまうだろうか?組織の将来は人材育成にかかっている.分かっていても,なかなか妙案はないということか?



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