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私立大学のこれから

 少し前のこと,「私立大学250校削減案、財務省が2040年目標」という新聞の見出しが気になって,少し出元を調べてみる.

財務省の財政制度等審議会の財政制度分科会で議論になったようだ.「人口減少社会の中での総合的な国力の強化(財政各論Ⅰ)」という資料によれば,2024年に63万人ある学部定員を2040年に18万人減らす必要があるという(1枚目の図).大学数に換算すれば約250~400になるようだ.国公立大の方は数を減らさず定員を減らすとして,私立大は数そのものを減らさざるを得ないということらしい.

インフラ関連では,北海道新幹線は事業費の増加が見込まれて中止すべき状況だとか,道路や上下水道等の老朽化問題,建設業の人手不足をi-Construction等による生産性向上で補わねばならないことなども書かれている.
話題を大学の削減に戻すと,文部科学省でも「2040年を見据えて社会とともに歩む私立大学の在り方検討会議」というのがあり,私立大学を取り巻く諸問題について議論されているようだ.
参考資料1によれば,まずもって18歳人口が2023年の110万人から2040年頃には80万人程度に減少することが議論の基盤である.自分の同学年は160万人だったから半分になる訳だ.2023年度時点で既に私立大学の約53%が入学定員未充足となっており,特に地方・中小規模の私大では約4割が赤字傾向である現状や,上昇傾向が続いて来た大学進学率も流石に60%程度で頭打ちとなる見通しなどが分析されている.文科省の試算では,63万人の大学入学定員は2040年に51万人と推計しており,12万人を削減する必要があるとの認識なので,財務省の見解に比べて削減が2/3規模となっている(2枚目の図).

いずれにせよ,私大の大幅な整理が必要であることに変わりはない.これまで日本では,理工系は主に国公立大,人文社会系のボリュームゾーンは主に私大が人材育成を担って来たのだが,OECD諸国を比較すると,日本の理工系学部の卒業生比率は,随分低いようだ.産業育成に貢献する理工農系の高等教育修了者比率を,今後高めていく必要があるという.既に,受験者の志向も教養教育系から実学系の学部に移りつつあるようだ.特に女子の教養教育に注力してきた女子大は,既に存亡の危機にある.定員割れランキングというwebページを観ると,定員充足率が低い私大が一覧でき,定員充足率が90%を切る大学を数えてみると240ほどあって,財務省が言う250に近いようだ.
それらの多くはいわゆるボーダーフリーやFラン大で,大学群でいうと概ね大東亜帝国未満の入試難易度だが,教養教育を主眼としてきた女子大が多く含まれている.身近な千葉県では和洋女子大や聖徳大,関東では白百合女子大や清泉女子大,東洋英和女学院大にフェリス女学院大などの名門も含まれる.京都のダム女や大阪の大阪樟蔭や相愛,それから兵庫の神戸松蔭などである.相愛や神戸松蔭は女子大から共学化も図っているのだが,なかなか厳しそうである.これらの他にも,恵泉女学園大や神戸海星女子学院大などが既に募集停止しており,学習院女子大は学習院大に統合されている.
それでは,大東亜帝国以上の難易度の大学は生き残れるかと言うと,理工農系シフトに対応していかねばならないのだろう.ひとつの方向性として文理融合型への移行という言葉が観られる.私大のボリュームゾーンである経済・経営系の学部であれば,ITやデータサイエンスのカリキュラムを増加するのも一策かもしれない.既に,国公立大では,一橋大ではソシャルデータサイエンス学部だったり,経済経営系の名門である滋賀大や横浜市立大ではデータサイエンス学部が設置されている.私立大に新たな理工農学部が設置されるケースも少なくない.そうは言っても,理系学部であっても,幅広い視野を持つべく教養教育は充実してもらいたいと思うところである.時代とともに必要なスキルは変っても,イノベーションには人文社会系の厚い知識基盤や視野が必須だと思う訳だ.
国民の教養や知的水準は国の未来を左右する.明治維新後の日本の発展も,戦後の復興と高度成長も,ひとえに江戸時代から蓄積した国民の知的水準の高さに支えられたものだと信じる.そういう想いからすると,高等教育に対する公財政支出のGDPに対する比率が,OECD諸国の平均値の半分ほどしかない現状には,途方もない心細さを感じた次第である.何故こうなってしまったのか?あるいは心配に及ばぬ特殊要因があるのか無いのか?とても気になるところである.



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